演奏会をパッケージする

演奏会のフライヤとパンフレットというのは一風変わった仕事である。
ライヴ演奏というのは形のない《全くの消えモノ》商品だ。演奏が終わるまでその価値は分からないし、終わった瞬間、その会場の空気の中に消えてしまう。
食品のようにサンプルも配れないし、クルマのように試乗も出来ない。《本邦初演》なんてあれば尚のことだ。
フライヤというのはそういう商品を売るための外装である。だからチケットを買っていただく段階では演奏会を買っていただいてるのではなく《演奏会への期待》を投資していただいているようなものだ。
演奏会のパンフレットというのも少々不思議な解説書だ。印刷物である都合上、演奏会のリハーサル前には大概出来上がってなければならない。
フライヤほどではないにしろ、制作する時点では「無いモノ」を解説するのだ。パッと目を通せばお仕舞いくらいのパンフレットもあれば、演奏会が終わるまでに読み切れない代物もある。しかしいずれの場合も、そこに綴られるのは出演者と演目に対する期待であって、演奏という商品に対する保証ではない。ここがCDなどの音楽ソフトについている解説書とは全く違うところだ。
そしてだ。演奏会が終わってしまって皆の手元に形として残るのも揉みくちゃになったフライヤとパンフレットだけだ。音は記憶の中にしかない。
ボクたちデザイナーの仕事としては、聴く人の期待を最大限に高めつつ、公演当日の舞台上の雰囲気とのギャップをいかに無くすかである。
そのために興行主催者やアーティストとの打ち合わせを重ね、時には参考音源を聴いたりしながら彼らが作ろうとしている演奏会の意図を汲み取り、《気分》を紙面に落とし込んでいく。フライヤは「なるだけ早く、より正確な情報』を求められ、パンフレットは「なるだけ演奏会当日の状態に近い情報」を求められるため、制作時間は恐ろしく短い。そして演奏会当日、ボクたちの出来る事は何もない。舞台成功を祈るだけだ。アンコールも無事終わり、舞台の成功をもって、この商品はやっと成立する。
 
ところで、自分たちがデザインを手掛けた公演に出掛ける楽しみの一つとして「お客さんの顔が見える」ことがある。デザイナーというのは大概、自分たちの制作物をユーザーが使用している場面に出くわすことは、まずないのだ。
ところが演奏会に足を運ぶと、まさに自分たちが制作したフライヤを手に会場に向かう人や、パンフレットを席について読む大勢の人を見ることが出来る。パンフレットを見ながら内容について隣の連れの方と話などしているのを見るのは一つの達成感を得られる。さらに当日同時に配られる他の公演フライヤの中にも自分たちが手掛けた別の演奏会のフライヤがあれば、尚の事興味深い。お客さんがフライヤの束をパラパラとめくっていきながら、ボクたちの制作したモノで手を留めて見つめているとき、言いようのない嬉しさになる。フライヤが生きている瞬間。
 
そんな事を考えながら先日の『山下洋輔プロデュース 茂木大輔PLAYSヤマシタ★ワールド』at 東京オペラシティ を聴いていた。フライヤの期待感を完全に凌駕するパフォーマンスと才能の爆発*1。してやられたり。演奏会をパッケージする奥の深さを心地よく痛感した。

*1:ヤマシタさんやモギさんやサックスのヒラノさんは勿論素晴らしすぎです。しかし特に感動したのは狭間美帆さんによる素晴らしいオーケストレーション(アレンジ)。ホントにまだ大学四年生なの? ホントにカワイイ顔してババンバンです。そして植松透さんのソロ・バスドラム。ボクはクラシカルのバスドラムという楽器があんなに多彩な音色とビートを出し、豊穣な音楽が作れるなんて今まで考えた事もありませんでした。