moyo-shimonoo

今朝、電車が池袋駅に着く直前で40分も止まっちゃったんだけど、お腹の催し物がなかったので大変助かった。
ところで諸君。お腹の催し物との闘いは、人類ならではの歴史なのではないだろうか。
ご存知の通り我々人類は、お腹の催し物を開催する場所と時間に未だ自由を与えられていない。これはホモサピエンス・サピエンスが高度な社会性の中で生活を営んでいるからであり、お腹の催し物が禁じられた時間や場所で開催されることは、己の社会的信用を大幅に損なう危険性を孕んでいるからである。
そしてそれは、いかなる人類も常ににその危険に晒される可能性を秘めており、その制御に一日を追われていると言っても過言ではない。
そしてそれは潔癖で密閉され、人口が過密な都会の空間、頓に通勤電車の中程、危険な場所はないのである。
私はかつて、何度もその催し物の開催の回避を巡って、主催者であるお腹と攻防を通勤電車の中で繰り返してきた。そして辛くも全勝してきた。
この闘いに人種も性別も国家体制の違いもない。全人類にして個々人の闘いである。
最近はこの催し物開催を回避するための薬物まで登場しており、いよいよテクノロジーによる制圧も始まっているが、全人類がその闘いから解放されるまでには至らないであろう。
この人類共通の個人的な闘いを体系的に印した歴史書を私は未だ見たことはないが、どこかにあるとすれば、その冒頭にはこう書かれているであろう。
『人は食べるから出るのだ。しかし出ることを畏れて食べるこてを拒んではならない。』