名曲たちの誕生


ブラス・ヘキサゴン Concert Vol.4 で東京文化会館へ。今回のボクの担当は当日パンフレットのデザイン制作でした。昨年の双六付きとは打って変わってのクールにキめたデザインなのは、提供して頂いたアーティスト写真がとてもカッコ良いから。カメラマンさんブラボー!(い、いや・・モデルもねっ!)
さて、休憩中のトイレでも「いや〜、信じられないくらい上手いっすよね〜。次元が違う!」と言う会話がそこかしこで聞かれ、サイン会に並ぶためにダッシュする人がいて次第に長蛇の列になったり、グッズや楽譜がドンドン売れたり、「オール新作のプログラムに挑んだんだけど、数えたら合計11時間しか合奏出来なかった」というトークにどよめきが起きたり、人気も安定して絶好調ですが、ここではもうちょっと違う見方をしようと思います。
純粋に金管六重奏という室内楽の響きと作編曲家陣が提供する作品の音楽性の高さから言っても、今のブラスヘキサゴンは世界でも類を見ないとても個性的でエキサイティングなアンサンブルだと思います。
ところが多くのオーディエンスから聞こえてくるのが「技術がスゴい・上手い」「楽譜がいっぱい出ているので挑戦したい」「ユルいトークが面白い」という、《音楽を聴く》というスタンスとはちょっと違う立場のコメントです。
そういった場合、間引いた響きの中にストイックな美しさを求めた伊左治直さんの〈懐かしきヴァージニア〉は「演奏してみても地味な曲」とか、F.ディドスさんの複雑なリズムの中にヴィラ・ロボス譲りのショーロへのオマージュを込めた〈TRESSÊME〉は「激ムズでオレらには演奏不可能」とか、そういう感想しか持た(て)ない可能性もあります。これでは非常に悲しい。
今晩、ここに発表されたブラスアンサンブルの新作はどれも、本当に素晴らしいものです。例えば天野正道さんの〈Style de danse arménienne〉は、吹奏楽作品〈リンカンシャーの花束/P.グレンジャー〉に対して13管楽器作品〈オールドワイン・イン・ニューボトル/G.ジェイコブ〉があるように、〈アルメニアンダンス/A.リード〉のフェイクとは全然違う価値観で描かれた、しかし温故知新の優れた作品の登場と捉えるべきだし、和田信さんのファンファーレは、全く新しいタイプの楽想を持つファンファーレとして特筆すべきものだし、F.ディドスさんの委嘱新作はクレスポ〈American Suite〉やロブリー〈American Images for brass〉といった「これぞブラスアンサンブル」という響きに満ちた名曲に並ぶ作品の誕生です。
そういう夜だったのです。
勿論、金管楽器を学習されている皆さんには是非とも彼らの取り組みと共に生まれた作品に挑んで欲しいと思いますが、音楽として鑑賞する耳も学習していって欲しいし、そこに込められた演奏家の思いも聴く事が出来れば、さらなる飛躍があると思います。聴衆の成長によってまたアーティストも育ちます。名曲も生まれます。芸術というのはそういった表現の送り出しと受けとの相互関係で成り立つものです。