二本のフルートの旅

f:id:otoshimono:20190321104408j:plain


大塚茜さんは見ての通りそこらへんのアイドルが霞んでしまうぐらいの容姿端麗なフルーティストである・・・が・・・ハッキリ言う。そんなことは今の大塚さんを語る上ではそれほど重要なことではない。彼女は今、とんでもない領域の音楽家に到達しようとしている。
彼女に出会ったのはファーストアルバムのデザインを依頼された時で、その頃から既にかなりハイレベルなフルーティストだった。「私こんなに上手なのよ」と言うツンツンした感じは微塵もなく、いつも音楽そのものを前面に出し聴衆に寄り添うスタイルは好感が持てた・・・が、今はそれだけではない。彼女が長年思い続け悩み続け研究し実践してきた成果だと思うのだが、「音楽」で何を伝えたいのが明確になり、その「音楽」で皆の心を引っ張っていくようになった。なんとも頼もしいかぎりである。
さて、3月20日に伺った紀尾井ホールでの『二本のフルートの旅』(Paul Edmund-Davis & 大塚茜, flute/川上昌裕, piano/金子鈴太郎, cello)である。大塚さんの主宰公演だ。
Paul Edmund-Davisさんといえば云わずと知れた元ロンドン響首席で、スターウォーズやハリーポッターなどのサントラから流れてくるフルートを演奏し、大塚さんの師匠でもある訳だが、まぁ、とんでもない名手である。ピアノの川上さんは辻井伸行さんの師匠としての名が世間では知られているが、言ってみればずっと弾き続けている阿字野壮介(ピアノの森ね)であり、やはりとんでもない名手。チェロの鈴木さんも華々しいキャリアは置いておいて「この人に弾けない音楽なんてあるのか」と舌を巻く腕前。そんな4人が集まるのだから素晴らしい公演になるのは分かっている・・・が、昨夜はさらにその斜め上を行っていた。
プログラム冒頭のハイドン『ロンドントリオ』第1番(flute2 & piano)からして3人とは思えないサウンド感で・・・などと書き始めたらキリがないので、本公演の白眉である最終プログラムのN.カプースチン『2本のフルートとチェロとピアノのためのディヴェルティメント Op.91』についてだけ書きますね。
カプースチンといえば知らない人は知らんかもしれないけど、知ってる人には熱狂的な愛好者の多い現代ロシアの作曲家だが、古今東西のあらゆる音楽的要素に精通した重層的な音楽を書く人である。しかも上手に弾けば音楽が組み上がるなんて代物ではなく、演奏者全員の音楽的技量だけでなく高い教養と遊び心が備わらないと1音足りとも前進しないのだ。
しかしながら昨夜の4人の演奏は「音楽の権化」としか言いようのないものだった。まるで今目の前でカプースチンが作曲していっているかのような爆発的な創作性の中で推進していくグルーヴ感。カプースチンとしか言いようがない音楽の中で立ち現れてはメタモルフォーゼしていくアストル・ピアソラ〜ジョージ・ガーシュウィン〜ヴィラ・ロボス〜スコット・ジョプリン〜レナード・バーンスタイン〜J.S.バッハ〜ジョン・ルイス〜ミシェル・ルグラン〜ロン・カーター〜オスカー・ペーターソン〜フィリップ・グラス〜フィデリコ・モンポウ〜フランシス・プーランク・・・あらゆる音楽が空間に溢れ出す。紀尾井ホールとブルーノート・トーキョウが一体化していくような錯覚が起こる。いやはや、もはや魔法である。
喝采と満員御礼の中で応えたアンコールはしっとりとアストル・ピアソラの「オブリビオン(忘却)」だった。いやー忘れらんないでしょう、こんな演奏会。