1984-2019

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1984年8月号のバンドピープルのいわゆる黄色い読者ページ『サウンドパーク』。師匠(志岐滋行・当時33才!)が描いたデザインスタッフ勢揃いのイラスト。デザイナーの宮内裕之さん・三宅政吉さん・佐藤伸一さん、志岐さんの一番弟子の山口さんもいる。
 
1984年は僕が高知の中学校で吹奏楽を始めた年で、バンドピープルは音楽準備室に並んでいたのを「トーキョーは、げに何でもあるがよなぁ」と憧れて眺めるだけだった。まさかその11年後に志岐さんのスタジオに転がり込むことになろうとは、人生とは本当に何が起こるかわからない。
 
それにしても、この頃の読者ページは大らかというか無茶苦茶というか。『売ります・買います』ページには「吹奏楽のための神話・ディズニーメドレーのスコアとパート譜全部のコピーを譲ってください!」「吹奏楽の有名な曲の楽譜のコピーをなんでもいいから譲ってください!」「コンクール課題曲のコピーを」みたいなのがバンバカ載ってる。しかも住所と名前付き(郵送が基本なのだから当たり前)。幾分軽減されたのかもしれないが、こういう文化を日本の吹奏楽は今でも引きずっている。
 
・・・とかなんとか思いながらシミジミと読み返していると仕事が捗らない捗らない。