[試論]あの時のDTP

四半世紀前の1990年代、書籍や雑誌を手掛けるデザイナーは「紙と鉛筆と見本帳(写植&色)があれば食っていける」とまだまだ言われていて、ヨチヨチ歩きだったDTP(デスクトップ・パブリッシング)は結構懐疑的な見られ方をしていた。確かに、時代は出版文化華やかなりし頃であり、写植組版や製版技術は芸術的な域に達していたのに対し、パソコン(Mac)は一日10回システムダウンするのは当たり前なのに値段ばかり馬鹿高く・フォントの種類は少ない・外字は出ない・アプリケーションは非力・だいいち苦労して作成したデータを結局は反射原稿や版下に作り直してから印刷所に指定して入れていたのだから、「こんな何度手間をかけるんだったら、今まで通りのやり方が一番イイに決まっている」と多くの人が考えるのは当然だった。僕の師匠はとても早い時代からDTPを導入していたが、それを馬鹿にしたように笑うデザイナーたちもいた。僕は師匠のスタッフとして非力なMacから生み出される師匠の最高な装丁デザインを元に次々と理工学書籍の版下を作っていた。曰く「高度情報化社会の到来」「インターネットとは何か」「リスクマネジメント時代の到来」・・・
時代は不可逆的だ。バブル崩壊・阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件と絡み合いながら高度情報化社会は急速にやってきて、インターネットの普及により旧来の出版制作システムはあっという間にDTPに水を開けられた。勿論そこには技術革新以上にDTPに取り組んだデザイナーたちの試行錯誤の賜物があったのだし、この変化に付いていけなかった「紙と鉛筆の」デザイナーは、スタッフが代わりに完璧にデータ化してくれるトップ・オブ・トップの大御所以外は、消えていくしかなかった。
実は活版印刷時代〜写真植字時代〜DTP時代と移り変わっても、その大前提となる出版物籍制作の基本的なデザインスキルは何も変わらない。前述の大御所が生き残れたのは高度なスキルを新しいシステムに移植できる「何らかの」手段を持っていたからである。それ以外のデザイナーはPCを手足の様に自在に扱えることが大前提となってしまった(PCで仕事するのがデザイナーという本末転倒なイメージが付くくらい)が、そこで生き残れるか否かは実は基本的なデザインスキルの問題であった。
その後も出版の世界は曲がり角がやたら続いて現在に至る。雑誌やハウツー本の殆どの仕事はインターネットにとって変わられ、エロはネット文化の本丸にさえなり(エロ本で培われた高度な写真製版と印刷技術は確実に出版技術の革新に貢献してたと思うんだよね)、Googleなどの検索エンジンや電子辞書やAIは人が知見を探し思索する作業にコペルニクス的転回をもたらした。
だからと言って紙の本の意義が消えてしまった訳ではない。つまり、紙をめくってのみ起こる世界感の広がりや繋がりや驚きを感じられる「紙の本でなければならない」本・電子の世界に存在しない情報を持った本・電子データにアクセスできない環境下で使用する本、それ以外は存在意義を失ってしまったのである。出版の世界は変わったのだ。紙の本は勿論、紙に拘らないメタファーとしての「本(コンテンツと仕組み)」を作ることが出版という行為になった。
 
さて、何を今さらこんな話をするのか、と思われるかもしれない。
今年に入ってからの世界的なパンデミック危機の中で「今までの生活を返してほしい」「早く元の生活に戻ってほしい」という言葉を本当に多く耳にするのだが、これだけは言える。『残念ながら今までの元の生活はもう二度と戻ってこない』。
時代はいつだって不可逆的だ。疫病が何らかの形で(良い形か悪い形かは判らないが)収束した後の世界は、人々が一見今までのように出歩き始めても、それは、今までと違う価値観とルールを内包した世界だ。
そして、その今までと違う価値観とルールというのは、待っていれば向こうからやってくるものではない。我々各々の試行錯誤(トライ・アンド・エラー)の集合体であり、自身が手足を動かしてバタバタする以外には獲得できないものだ。
そう、あの時のDTPと同じだ。