intelligence

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庭の梅の木が今年は大きな実をつけました。食えるかどうか分からないので観賞用にしますが、引っ越してきた当初は大きな虚(ウロ)があって枯れそうだったこの木が、今ではすっかり虚も埋まって力強く花を咲かせ葉を繁らせ、こんな実までいくつか成る様になったことが、ただただ嬉しいです。
さて、ここ数ヶ月、「intelligence(知性)」について考え続けています。
人の世はほぼ定期的に困難に陥り、その度に常に知性(intelligence)と蒙昧(ignorance)を行き来する混乱があり、現代はやや、蒙昧による破壊が勝っている気がしてなりませんが、歴史を紐解くと常に突破口やアドバンテージは intelligence を持って行動していた側にあり、それは結局のところ(感情論とは別方向の)優しさや許容性なのだと気付かされます。
(社会的・民族的)属性や(政治・宗教的)イデオロギーに依る信念みたいなポジショニングから、そうではない相手を拒絶・排除・破壊する発言や行動では結局同じ穴の狢であり、どんなに賢いつもりで権謀術数を捏ねくり回しても、何の進展もないどころか自らや周りを滅ぼしてしまいかねない。
なので今回のパンデミックによる新しい時代への変化も、パラダイムシフトはそういうところから一線を画した intelligence を以て行動している個人や集団から起こるだろうと。
しかしながら、個人や集団が一貫して intelligence を保ち続けることは相当困難なんだろうとも考え、人間の儚さを感じたり。。。
「結局お前は何が云いたいのだ」と言われるとホンマにそうなんですが、少なくとも、SNSやブログ記事などを斜め読みしただけで何かを訳知り顔で語ったり、罵詈雑言を平気で発信してしまう行為には賛成できないなぁ、ということです。
それに引き換え、黙々と生きる梅にこそ intelligence を感じたり。