橋本晋哉×有馬純寿 チューバ&ライヴ・エレクトロニクス デュオ・リサイタル


エントリタイトルにあるリサイタルに行って参りました。当日のプログラムを橋本さんのホームページより転載いたします。

橋本晋哉×有馬純寿
チューバ&ライヴ・エレクトロニクス デュオ・リサイタル
 
7月3日(火) 19h開演(18h30開場)
杉並公会堂小ホール
  
プログラム
  
ルイジ・ノーノ 「ドナウのための後−前−奏曲」
 Luigi Nono, "Post-prae-ludium per Donau" (1987)
 
コート・リッペ 「チューバソロのための音楽」
 Cort Lippe, "Music for solo tuba" (1987)
 
鈴木純明 「落ち着かないブルドン 」
 Jummei Suzuki, "Le bourdon en branle" (2003)
 
平石博一 「委嘱新作」 ※委嘱初演
 Hirokazu Hiraishi, "New work" for tuba and live electronics (2012)
 
コート・リッペ 「チューバとコンピュータのための音楽」 ※日本初演
 Cort Lippe, "Music for tuba and computer" (2008)
 
ルイジ・ノーノ 「ドナウのための後−前−奏曲」
 Luigi Nono, "Post-prae-ludium per Donau" (1987)
 
「ドナウのための後−前−奏曲」は即興性の高い曲であり、タイトルも踏まえてプログラムの前後に計2回演奏します。

ボクがコンテンポラリ・ミュージックの世界に興味を持つようになったのは中川俊郎さんの作品を外囿祥一郎さんのレコーディングで聴いてからだと思うのですが、その後多くの演奏家や作曲家と交流を持つ事が出来たこと、そして何より橋本晋哉さんという希有な音楽家を〈目撃〉したことに始まります。
2009年に東京オペラシティで開かれたコンポージアムにて橋本さんはヘルムート・ラッヘンマンの「ハルモニカ」日本初演*1のソリストとして登場したとき、ボクは驚愕しました。こういう音楽があるというのもさることながら、こういう表現力を持った音楽家が日本にいるのか、と。
その後、幸運にもユーフォニアム奏者の小寺香奈さんを通じて橋本さんと出会うことが出来、幼少の一時期を同じ街で過ごしていたこと、趣味志向が合うことなどから、今ではちょっとしたsoulmateです(笑)。
彼がボクに与えた影響は絶大です。コンテンポラリと古楽というメビウスの輪のような音楽を自在に行き来する彼の回路を夢中で追っている感じ。彼の演奏活動を通じて得られた感覚はボクの血肉となっています。
例えば、これはボクがリサイタル後にtwitter上で書いた呟き。

〈橋本晋哉×有馬純寿〉に限った話でないけど、橋本さんたちと出会えたことで、私は〈メロディ・リズム・ハーモニーの存在と調和が音楽である〉という概念が、数学で例えればユークリッド幾何学の範疇であって数学そのものではない、という風に音楽についてもリアルに気付かせてもらえたのです。

演奏とは時間を聴覚的に制御する術だということです。撮影が光を視覚的に制御するように。人間はこの次元に存在する限り時間の進行にだけは逆らえないけど感覚として引き延ばしたり縮めたりは出来る。橋本×有馬によるケージ「ファイヴ(4'33''挿入版)」を聴いて浅学な私なりに感じたのがこれ。

本日の彼らの演奏がどういうものであったか、という論評は専門家の方々に委ねるとして、ボクの感想はこうです。
生まれてこのかた五感と言われる入力デバイスというのはそれぞれバラバラな感覚だと思っていたのが、実は今でもかなり曖昧で、人は味わうように聴くだけでなく、観るように聴いたり、触るよう聴いたり、臭うように聴いたり出来るということを、出力側である我々に伝えてくれることが彼ら(作曲家も含めて)が表現活動なのだとすれば、今回もマンマとその目論みが成功した、という事です。
8chのスピーカーとエレクロにクス機材とテューバが時間軸に出現させる感覚の自在さは、まだ五感が未分化の胎内で浮遊する感覚です。

*1:有馬純寿さんはその時のエレクトロ・パート