カフェの遊牧民

やはりノマドという言葉も安い価値観として薄まってきてしまいました。かつてはノートPCひとつをオフィスに言葉の壁も越えて世界の何処にいても仕事を共有出来る専門家達のワークスタイルだったのに、単なる「カフェで仕事(残業)する人」のイメージに。大事なのは何処で仕事するかでなくて、どんな仕事をするなんだと思いますけどね。
ボクが昔アートディレクションしていた雑誌はSOHOがテーマだったのですが、最後の方は単なるネットショップの意味になっちゃっいました。ネット環境や決済システムだけでなく、そのワークスタイル自体が曖昧だった時代(つまりは黎明期なんだけど)に立ち上がった雑誌だから無理もなかったのですが・・・とはいえ、楽天もサイバーエージェントも(かつての)ライブドアも、こういう手弁当な所から始まったんです。
ちなみにSOHOってSmall Office/Home Office(スモールオフィス・ホームオフィス)のことで職業や業態の事をさした言葉ではないんです。主に士業やプログラマーや作家やデザイナーやイラストレーターやミュージシャンなど、所謂、手に職のあるフリーランサーや身柄の自由がきくサラリーマンが、快適なオフィスをいかに作るか、みたいな話だったんです。
ところがこのSOHOも今や内職みたいなイメージになってしまっています。
IT革命と呼ばれたものが黎明期の頃、新聞裏などに載っている通信教育の広告のワードやエクセル講座の項で「主婦でもSOHOや在宅ワークで高額収入が狙えます」みたいなコピーが踊っていたのが一般に定着してしまったのだと思います。
ノマドにしろSOHOにしろ「ローリスク・ハイリターン」的な匂わせ方をしてガジェットや資格講座を取らせるというセコい商売が横行すると、一挙にその言葉のグレードが下がる気がします。
SOHOも元々は士業やプログラマーやデザイナーやミュージシャンなどのワークスタイルとして提案されたものです。流れとしてはSOHO→ライフハック→ノマド→コワーキング、と来ています。
それがセコい商品を売るためのコピーライティングを多くの人が鵜呑みにしてしまって
・SOHO→サラリーマンや主婦の内職
・ライフハック→サラリーマンの物欲を満たす自堕落術
・ノマド→カフェで仕事(残業)する人
みたいな消費のされ方をしているのです。
士業やプログラマーやデザイナーやミュージシャンなどでとっくに自分のワークスタイルを見据えている人にとっては言葉なんて後から付くものなので実はどうでもいいんですが、それに憧れているだけの人にとっては言葉の方に食らいついてしまうというところに落とし穴があると思います。
で、次にコワイのがコワーキングです。価値観を共有するフリーランスたちの共働スペースが、単なる「仕事(残業)用のネットカフェ」を意味するようになったら危ないと思っています。