存在価値

在京オーケストラのマネジメントの方が公演フライヤのお打ち合わせにいらっしゃいました。公演内容以外にも昨今の所謂クラシック音楽を取り巻く事情みたいなところを随分と話し込んでしまいました。
人は音楽や美術作品、科学技術やスポーツから食べ物に至るまで「内容そのもの(content)」と「その周辺に纏わりついている物語(context)」との間を行き来しながら捉えているのだと思います。これらのどちらかが肥大してバランスが崩れてしまうと、何を語った所で暫くは真っ当な論議すら出来なくなります。
音楽や美術や舞台や映像などの芸術・芸能のというのは、とても大きな意味で、常にそういう局面に対して危うい所にいるからこそ、人間社会にとって存在価値があるのかもしれません。