村上隆の五百羅漢展


縁というのは不思議なもので、観たい聴きたいと思っても全くタイミングが合わないものもあれば、向こうから勝手にタイミングがやってくるものもある。《村上隆の五百羅漢展》はいつ行こうかとボンヤリ考えてたらemixが招待券を貰ってきて、しかもその翌日に都心での打ち合わせと打ち合わせの間がポカンと空いた。もう「観なさいよ」と天啓を受けたに等しい。
村上隆さんの芸術論やこの展覧会への論評はいくらでも上手に書ける賢明なる方々がいらっしゃると思いますし、芸術や商業問わず美術という世界の末席の後ろのパイプ椅子のさらに後ろで空気イスしてる私なんぞ吹けば飛んでくPM2.5一粒でございますが、そんなモンでも最近にない衝撃波を受けたからには何か書きたいのでございまして。
商業印刷物を主に手がけるアテクシにとっての一番のグーパンチは、とてもいっぺんでは視野に収まらない巨大サイズの作品達がどれも、監視員に叱られるくらい近くに寄ってガン見しても精密な工業製品のように仕上げられている「隙のなさ」です。網点の一つ一つまで神経が行き届いている。杉浦康平さんのブックデザインや大友克洋さんの作品を初めて見たときに感じたのと同じ眩暈を覚えました。これは渋谷にある岡本太郎さんの壁画「明日の神話」とは全く逆方向の衝撃なのですが、そのエネルギーのベクトルは同じ様にも感じます。グゥの音も出ません。