『伝統』なる幻想、あるいは妄想。

毎日新聞のウェブの記事より

特集ワイド:それホンモノ? 「良き伝統」の正体

例えば高校の吹奏楽部で「うちの部活では代々伝統的にパートリーダーは全員正月に揃って初詣に行くことになっていたのに、たまたま行かなかった昨年はコンクールで賞を取れなかった。」みたいな話がマコトシヤカに語られることがありますよね。でも高校だからどんなに頑張っても3年弱くらいしか在籍しないし、その前がどうだったかなんて本当は知らないわけです。実際はここ数年のたまたまの習慣かもしれないのに《昨年コンクールで賞を取れなかった原因》を《初詣に行かなかったから》に結びつけ、『代々の良い伝統』なるものを創り出すことでその世代の同調圧力が生まれるわけです。
実際5〜6年前に大学の部活動の後輩が演奏会のデザインの打ち合わせに来て「ウチの部活は代々チラシのデザインはこうするものと決まってまして」みたいに言ってきたので「それもこれも全部僕が代々の担当の部員と相談して作ってきたんだし、しかもその傾向はここ数年のことで、そうじゃないデザインは前にいっぱいあったよ。誰が言ってたの?」って聞いたら、「幹部ミーティングでみんなが」みたいなことを言ってる。
上の例は、大変ミニマムな組織の例ですが、伝統というものが語られるとき、実際に起こっていた歴史的事象の連なりとは違って、発話者の気分で捏造される『あるべき(あって欲しい)組織の過去の憧憬』であることが殆どです。また、伝統を盾に何かが語られるときはその集団・組織(国かもしれないし業界かもしれないし会社かもしれないし、もちろん部活かもしれない)が不安定な状態にあることが多いです。