コトダマ

SNSの普及で「ペンは剣よりも強し」「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を履き違えてしまっている世の中になってきたのかしらと思うことがある。
言霊(コトダマ)という程、言動の力というのは元々強い。それは発言者の有名無名に関わらずだ。SNSでの誹謗中傷や罵詈雑言で自殺に追いやられるなんて正に現代の呪いである。また、そういった人々の中には「親しき仲にも礼儀あり=親しくなければ何を言っても(しても)良い」と取り違えている方々も多く、残念な発信(リツィートやシェアも含みますよ)にゲンナリさせられることがある。次にリアルにお会いした時にどう接すれば良いか分からなくなってしまった方もおられる。
私は視覚的に言葉を取り扱う仕事をしているので、その諸刃の剣の恐ろしさを日々ヒシヒシと感じながら暮らしている。
さらに言うと、実のところ、それぞれの人の感じたままを言葉に置き換えて100%伝えることは不可能である。言葉というものは強いのだが、発した瞬間に送り手の意図ではない力まで纏ってしまう。だから送り手のフィルタ(意図)と受け手のフィルタを通った情報や感情には必ず齟齬(ズレ)が生じる。ここをどう視覚的に制御していくか、というのがデザインの一種の使命でもあるが、その難しさに日々悩まされ続けている。
だからどうしろという事はないのだが、言葉はズレるのだ、受け手は思いもよらない所にも存在する、ということを分かって発信しないとツラい思いを最後にするのは発信した本人かもしれないよ、ということです。
 
最後にこんなエピソードを・・・
ボクが管理している或るアーティストのfacebookページでライヴの告知をしたところ、『なんて日にやるんだ!』とだけ書き込まれたお客様がいた。
多分、ご本人にとっては「次のライヴをとても楽しみにしていたのに、選りに選って自分の都合が悪い日になってしまった」という意味で書き込まれたのだと推測する。
しかし結果としては、書込主の事情の前後関係が分からないアーティストや他のお客様にとっては誹謗中傷やクレームとも受け止めてしまいかねない、アーティストへの書込主の思いとは全く逆のネガティヴキャンペーンになってしまった。
・・・言霊ってそういう意味でも強いんです。