通勤の空

ふと、考えました。ボクはかれこれ12年も、通勤のために東京と埼玉を電車で毎日行ったり来たりしてるけど、一度として慎ましい気持ちで窓から空を見上げたことがあるだろうか。
仕事に向かうときの空は、天気を表示するディスプレイくらいにしか思ってないだろうか。
仕事から帰るときの空は、都会の圧倒的な光に掻き消されて、ただのスミベタ部分くらいにしか見えてないだろうか。
旅する時の空は、どんな天気でも美しい。どんなに排ガスで煤けていても魅力的だ。
人生とはそれ自体が旅なはずだ。通勤だって振り子の様に同じ運動を繰り返しているのではない。仕事は進むわけだし、人との出会いと別れもある。ボクはどこかに向かって毎日進んでいるのだ。
だから道すがらの空だって毎日違うはずだ。空は「晴れ、曇り、あめ」の3種類で語れるほど簡単なものじゃないし、星のない夜だってその大気に何かを纏っているはずだ。
宛のない旅なら、道行の空を愉しむ余裕が欲しいものだ。また、そう考えないと、このセチガライ世の中に余裕なんて生まれっこない。