人生を考える日

盆があけると父の命日がやってくる。21回目の7月17日。18歳で埼玉に来てからはもうマトモにおまいりしてない。あぁなんて親不孝者。せめて盆休みが7月になってくれればイイのに・・・。
そんな今日は、私の大学時代の友人の命日でもあるのです。3年前の今日、友人Aちゃんは自らの命を絶ちました。うつ病を患っていたとのこと。私にとってまったくヒトゴトではない死でした。
Aちゃんは一浪して大学に入学。それまで同い年しか身の回りにいなかった私は、ひとつ年上のAちゃんはお姉さんみたいな感覚でした。そんな彼女は授業も休みがち。3年になったある日、久しぶりに会ったAちゃんの口から出た言葉は「私、結婚することになったの」。
まもなく一児の母に。でも、結婚の条件に親と交わした「約束」を守るべく、彼女は皆より1年遅れて大学を卒業。その後さらに二児をもうけ、家族5人の幸せな生活は続いていた。
しかし、まだ彼女には果たさなければいけない「約束」が残っていた。それは教師になること。当時難関だった採用試験をなんとか突破し、念願の教師になった矢先・・・悲劇は起こったのです。
最後に彼女と会ったのは今から7年前(亡くなる4年前)。久しぶりに会おうって同窓会をやったときです。そのときは私が臨時教師を辞めた直後で、そんなことがあったんだ、なんていう話を皆にしたんだった。まさか自分が同じ病にかかり、そして自ら命を落とすことになろうとは・・・。
本採用教師になれずに悩み、苦しみ、挙げ句うつ病になった私。私はまだ生きているのに、本採用されたAちゃんが何故命を絶たなければならないのか。いたたまれない気持ちで私たちはAちゃんのお墓参りだけでも、と遺族のかたに申し出ました。しかし、それは叶いませんでした。
後日、遺族の方から、妻がああいった最期を遂げたことにより、残された3人の子どもと自分は世間から苦しみを云々〜といった内容のハガキが届き、さらにAちゃんの無念さを痛感しました。この人は妻と共に病と戦ったことよりも体裁を気にするのか、と。いや「共に」戦ったのだろうか。それとも逆に救えなかったことを責めているのだろうか。
7月17日。世間的には「石原裕次郎の命日」なんだけど、私にとってはもっと深い「人生を考える日」になりつつあります。