無念のパラパラ

仕事で辞書の紙面フオーマットを制作しています。
辞書と言えば、前にも書きましたが、ボクは子供の頃の一時期、パラパラマンガ(手動アニメ)に異様に凝ってて(殆んどが棒人間キャラで描かれたガンダムのパロディだったと思う)、手持ちの教科書全ての端っこに描き尽くし、国語辞典に手を出したところで母親に見つかり、全て泣きながら消さされた思い出が強烈に残っています。
でも、泣いたのは、悪いことをした、というより、描いたものを消すのが勿体なかったというのと、もう一度イチから描き直さなければならないのか、という無力感からだったと思います。んー、親の真意を解ってませんでしたね。道理としては親の方が正しいですし。
こうしていま、辞書の本文を設計する立場になって、「当時の大人の人たちが一所懸命に作ったのだから有り難く綺麗に使えばよかった」と後悔しているかというと、してません。むしろ、時代の要請で紙面の際々まで文字情報を詰め込み、余白がなくなることによって、パラパラマンガを描くスペースが減ってることを残念に思うくらいです。
そして、あの時の経験は、仕事で完成間近のデザインデータが、コンピュータのシステムダウンなどで丸ごと消えたときの無力感から復帰するのに役立っています。