自筆


日本楽譜出版社から、日本で初めて刊行されたJ.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番・第5番の自筆ファクシミリ譜を注文していたのですが、先日のラ・プティット・バンドの公演当日の朝に届くという心ニクい演出で我が家に到着しました。
自筆ファクシミリ譜というのは、作曲者が書いた“そのもの”を複写した楽譜です。つまりこれはおよそ290年前にバッハが自ら筆をとった楽譜なのです。
楽譜というのは出版する折には編纂者と楽譜浄書家によって改めて整えられてしまいます。バッハのような古く貴重な作品は最初の出版譜も古く、しかもその時点で様々な版があります。しかも原典である自筆譜は古文書を収めた博物館や図書館の奥深くに保管されているため、これまで一部の限られた権威ある音楽学者以外はお目にかかる事は不可能でした。
そういう訳でバッハなどの古い大作曲家の現在の出版譜は、かつて編纂された出版譜を下敷きにしていることが殆どであり、例えば音楽之友社版のブランデンブルグ協奏曲[全曲版](OGT609)は「ゲッティンゲン・バッハ研究所とライプツィヒ・バッハ資料館刊行の《新バッハ全集》第VII編,第2巻」「ハインリヒ・ベッセラー校訂(BA5005)による原典版」「ベーレンラーター社版」の4つの出版譜を元に、校訂者が臨時記号を『こんにち通用している規則に従って』追補された楽譜です。
これだけの出版社や学者を経て出版されると、いくらバッハの真意を推測して校訂したとはいっても、それぞれの思惑がそこに込められていきます。しかも自筆譜は一部の人しか見られませんから、現代の人は演奏者であっても、独自に真意を確かめる事が不可能でした。
例えば今回ファクシミリ譜を見て分かった事の一つは、そもそもブランデンブルグ協奏曲(少なくとも第3番と第5番)は「楽章表記がされていない」ということです。《世界一短い第2楽章》を持つ曲として有名な第3番に至っては、第1楽章/第2楽章/第3楽章(とされているもの)は改ページもされず同じ五線紙上に書かれ、それぞれはダブルバーで区切られているのみです。*1つまり第3番に関しては単一楽章形式に見えるのです。
これは版元が出版する折に「ブランデンブルグ協奏曲《集》ってくらいなもんだから、それぞれの形式は統一した方が分かり易くね?」「協奏曲だから楽章はやっぱ3楽章形式じゃね?」的な意図で全てが3楽章形式に整えられた可能性があり、その際ダブルバーに囲まれたこの1小節が「第2楽章」と命名されてしまったのではないかと推測されます。
こうして《世界一短い第2楽章》はその後の演奏の解釈を巡って世界中の音楽家の頭を悩まされる事になります。「この時代、即行演奏は常だったからチェンバロの得意なバッハは自由に演奏したのではないか」とか「第2楽章までは一挙に演奏して休止をとり(つまり第1楽章の終止的に演奏し)、改めて3楽章を演奏するのではないか」とか云々。ところがファクシミリ譜をみるに、この《第2楽章とされているもの》は前後のセクションを繋ぐ「ブリッジ」であり、それぞれをアタッカで演奏するのが自然に見える書き方です。古楽の専門家ではないので深くは立ち入りませんが、少なくとも普通に楽譜を読むとそうなると思います。
時代的にどう演奏するのがベストかという議論はさておきながら、こういった自筆譜までに立ち戻った議論を世界中の研究者や演奏家や愛好家が出来るというのはとても意義のあることであり、今後広まっていって欲しいムーブメントだなと思ったのでした。
さて最後は、デザイナーとしての興味から。
ボクが今回この自筆ファクシミリ譜を購入した一番の理由は、バッハの自筆譜が美しいからです。バロック時代の美しい手書き譜に触れることにより、音楽公演・出版を中核分野においてデザイン活動しているボクの眼を肥やすためです。事実、バッハの流麗かつ読み易い譜面は美術品としての価値があり、さらに既存の書法にとらわれていない第5番の終止線のスクリプトの飾りや、献呈に書かれた表紙のタイポグラフィの美しさ、などにウットリします。
欲をいうなら、これをアミ点の見える通常の1色オフセット印刷でなく、最低ダブルトーンによるFMスクリーンや高精細などを使った美術印刷として再現したいですし、さらに欲をいうなら、原寸大で、用紙も風合いを近付けたいものです。
そういう仕事に関われると楽しいだろうなぁ。
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*1:音楽之友社版では《第2楽章とされているもの》まではダブルバーを挟んで一続きに。《第3楽章とされているもの》は改ページした上で新たに編成表記も入れて始められています。それぞれの肩には1. 2. 3. とイタリック表記されています。