ちゃららら〜♪


ここ2週見逃していた大河ドラマ』の録画を晩酌しながら鑑賞した。今年は市の娘、茶々・初・江の三姉妹を中心に話が進むので基本的に重要な展開がいつもインドアだ。そういう意味での開放感が味わえないのは地デジ元年の大河としては物足りないかもしれない。しかし、歴史的経緯を基本軸にしながらの人物像の新しい解釈と自由な脚本で、演出にバラエティドラマのエッセンスと台詞回しを取り入れた点は、バラエティドラマで頭角を現した俳優達のキャスティングを生かしたいというNHKの意気込みを感じる。
ご存知かと思うが、大河ドラマというのは歴史検証とその再現を意図したものではない。かつては『三姉妹(1967)』『獅子の時代(1980)』『山河燃ゆ(1984)』のように主役まで架空の人物であったこともある。実在の人物であってもファンタジックな要素を取り入れることにより劇作としての深みや創造力を観るものに掻き立てさせる演出も多い。もし史実と違うことに違和感を持たれるのであれば、大河ドラマや時代劇、時代小説などは読まずに、歴史書や考古学研究、映像であれば学術ドキュメンタリーを参照した方が良いと思う。
今回の主役の江は、歴史の節目節目に立ち会わせられている。普通は男性しか入れなかったような場面にも現われて喧嘩したり泣いたり笑ったりしている。彼女は観るものの触媒(眼)となって戦国史を追体験する役目なのだ。上野樹里という、等身大でありながら希有な才能を秘めた役どころが得意な女優を上手く使う方法だと思う。現にナチュラルすぎる演技なので他の役者より下手だと錯覚する人もいるかもしれないが、そこが意図なのだ。つまり触媒である江(上野)は演技として引っかかりがあってはならない。その眼を通して濃厚な歴史劇(他の俳優の作り込んだ演技)を観る仕組みである。だから例えば江の恋愛話は主役にしては実にあっさりと描かれ、茶々と秀吉の憎愛劇は舞台演劇かと錯覚するくらい極端に濃密に描かれた。
今回、個人的にはこの2回の放送で見せたNHKのサービスカットに笑った。利休の愛弟子として無理矢理「へうげもの」の古田織部を登場させたり、「愛」の変り兜で人気を博した直江兼続の甲冑を高津商会(小道具の会社)あたりの倉庫から再び引っ張り出してきて顔見せナシの役者で利休屋敷の見張りをさせたり。豊臣(袴田)秀長が秀吉を呼ぶとき「兄者(あにじゃ)」と言うのも、竹中秀吉の時の高嶋(政伸)秀長へのオマージュなんだろうなぁ。
写真はバンドジャーナルの付録で毎年恒例の吹奏楽編曲版。『江』の冒頭のピアノソロが用意出来ない場合はオプション譜面がついてます。