チャンスとは何か

夕刻から先週の「オリパパ&ミスケン&ヒデノリのトランペットが吹きたい」にも出演されていたトランペット奏者の斎藤秀範さんと、打ち上げ2次会に引き続き、またまたバイマリオで飲んでおりました。彼は古楽オーケストラとして世界的評価の高いバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーであり、明日のさいたま芸術劇場で行われるヘンデル《メサイア》公演にも出演されます。お互いの家が近所ということもあり、彼のリハーサル終了後に一杯ひっかけに来たわけです。
一杯ひっかけに来たつもりだったのですが、かなり話が盛り上がりラストオーダーまで長居してしまいました。音楽の話、仕事の話、人生の在り方などなど、色んなお話をしました。お互いアウトプットしている部分は高度に専門的なスキルが必要なのですが、根っこの部分やインプットするモノの考え方などは共通することが多く、精神的な部分は本当にジャンルを超えるんだなぁと感じました。
特に印象に残ったのは「チャンスとは何か」という考え方が共通していたことです。
人生において、その人が内面的にも対外的にもスキルアップしていくためのチャンスっていうのは〈もっとも条件が悪く、もっともタイミングが悪いときにやってくる〉ということです。
野球に例えるならピンチヒッターを頼まれた時に断らずに打席に立つということです。チームがピンチの中、肝心な強打者が諸条件でバッターボックスに立てない。そんな中打順を指名される。モチロン自分は一番手ではないし何しろ準備不足(予定外の悪条件だからピンチというんです)。そんな中『・・・やりましょう!』と言ってバッターボックスに向かうかどうかということです。
それに頼む方も闇雲にあなたに頼んだ訳ではない、ということです。今は不安な要素もあるかもしれないけど、期待出来るから頼んできたのですから。
ここで『こんな大舞台でボクなんかが立てませんよ』『だってウォーミングアップする時間もないじゃないですか』なんて言ったら、殆どの場合もう二度とあなたに打席は回ってこないのです。頼んだ方は「あぁ、そういうヒトなのね」という風になるんです。
しかしここで打席に立ってピンチを打開出来る仕事を《少しでも》出来れば、次も代打を頼まれる、次はスターティングメンバーになれる、やがてクリーンナップの中に名を連ねる、そういう積み重ねでしか人生のスキルアップはあり得ません。
そして、自分の居場所というのはその中で自然と培われていくのです。
これは野球選手のみならず、音楽家でもデザイナーでも、国会議員でも寿司職人でも会社員でも学校の先生でもコンビニのアルバイトでも同じだということです。飲み会や遊びの誘いだって同じことかもしれません。
ただし『・・・やりましょう!』と『これなら自分でも出来るかも』は全く違います。前者は〈やらねばならぬ〉という決意、後者は〈失敗してもいいや〉という甘えです。
自分に言い訳しながらイージーな方へ選択していくと「本当のオレはこんなモンではない」と一生周りにクダを巻き続ける事になります。ボクたちはそれは絶対イヤな訳です。