メビウスの輪

先日、高知で村田陽一さんのライヴがあり、親の転勤で3年間過ごした高知での小・中学時代に仲の良かった友人が聴きに行って、終演後に村田さんとボクやemixの話をして盛り上がったそうです。
ボクと彼とはもう四半世紀くらい会ってなくて、数年前にfacebookで再会しました。実は彼こそ、ボクを音楽の世界に誘ってくれた張本人です。
ボクは中学校に入学して最初は某運動部に仮入部したのですが、そこがヤンキーなお兄様達のたまり場だと知って這々の体で抜けちゃってプラプラとしていた時に、彼が「otoshimono、スイソウガクブに入らん?」と誘ってきたのです。
もうね、スイソウガクブって言われても漢字にも変換出来なかったし、例え「吹奏楽部」と変換出来たとしても何をする所かサッパリ解らなかったんですよ。
だいたい彼とは小学校5・6年の2年間は漫画同好会みたいのをクラスで作ってガリガリと描いていた仲間だったんですから、なんで美術部や漫研じゃなくてスイソウガクなの? ってな感じで。あ、漫研はなかったんです。あったら即入部でしたね。そしたら全く人生変わってましたね。いや、こんな仕事してるし、あんまり変わらないか。
で、音楽室に連れていかれてやっと楽器を演奏する部活だって解ったんです。小学生の頃もリコーダーは好きだったし、音楽会で何故かシンバルを得意になって叩いてましたから、まぁ面白いかもしれんな、と思った訳です。部活の仲間もけいおん!みたいなホノボノ部活四コマみたいな日常で和気あいあいとしてるし。まぁあんなにカワイイ子だらけではありませんでしたが(皆さん失礼!)
で、そんなこんなあって、トロンボーンを担当することになるのですが、この当時の面白オカシイ思い出はまた今度として、ボクはそこで彼に音楽の道に連れられていったことがキッカケで、大学まで吹奏楽部を続け、そこでヨメをゲットし、そこで出会った指揮者の師匠に音楽雑誌の仕事を紹介され、デザインの師匠の事務所に入り、担当させてもらったCDの仕事で沢山のミュージシャンの方々と出会い、そして村田陽一さんと出会い、彼のCDやライヴの仕事をお手伝いさせて頂き、偶然にも村田さんがヨメ(emix)の高校の先輩だったりしたのもありお互い親しみが湧いて、時折連絡を取らせていただいたりして現在に至るわけですが、その村田さんと友人が巡り巡って高知のライヴハウスで出会い、ボクとemixの話をしている(しかもその場にボクたちはいない!)訳ですから、人生はメビウスの輪のように繋がっていて実に面白いと思った次第です。
人生とは経験の一つ一つが関係性を持って次に繋がって進んで行き、それは自分のルーツにまで達するものなのだと身を以て感じる今日この頃、全ての人との出会いに感謝せざるを得ません。