薄〜〜〜〜〜〜くではあるが

ボクの実家の起源というのは、山口県と広島県の境で農・林業や材木問屋などの稼業を営んでいた豪農で、吉川家の陣屋(これはおそらく岩国陣屋なので現在の岩国城)内に部屋を与えられて詰めていたという話を、大学生の頃に大伯母(祖父の妹)から話を聞いていたのだが、先日、叔母(父の姉)と会った折に、その後、どうもその吉川から妻を迎えたということを聞いて、ちょっと驚いている。
つまりその後のウチの家系は、吉川の血が流れているということで、しかも吉川というのは途中で血が途絶えそうになったときに、毛利元就の次男(15代:元春)を養子に迎えており、さらには鎌倉草創期を支えた朝臣、大江広元にたどり着く。
つまりウチの家系は完全な武家ではないものの、薄〜〜〜〜〜〜くではあるが、毛利元就の血が流れていることになるのだ。
・・・ということは、思いっきり長州系なのか・・・