unit 4/4(ユニット・カトルカール)第2章『西村朗 × 伊左治直』を聴いて

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東京新宿の四谷界隈に荒木町というかつての花街がある。摺鉢状の街は巡り下る坂道に並ぶ料亭や居酒屋やバーと長い階段に囲まれ、夕暮れ時にもなるとこの異空間は映画のセットに入り込んだかのような色彩に染まり、まるで現実味がない。その目眩のするような谷底にある弁財天の池の向かいに詩人・新美桂子さんはかつて住んでいたと公演パンフレットで語る。
 
2022年4月7日、作曲家(伊左治直)・ピアニスト(碇山典子)・声楽家(太田真紀)・詩人(新美桂子)からなる unit 4/4(ユニット・カトルカール)の公演の鑑賞で、めぐろパーシモンへ向かった。西村朗さんと伊左治直さんの二人展ともなれば興味が尽きない。
 
演目はなんと西村作品では(今回の新作を除いて)2作品しかないというソプラノのための貴重な声楽作品2作から始まる。「涅槃」「輪廻」という仏教用語とは程遠い屈折した荻原朔太郎による詩作がそのまま飛び出してきたかのような湿度で迫る。
続く伊左治作品の「WHAT NONSENCE!」と「谷間に眠る男」は同じ作家が書いたのが信じられない二品。彼の器楽作品に馴染みのある私にとっては「〜ナンセンス!」の方が親しみのある作風であるが、ポピュラースタイルで書かれた耳心地の良い「谷間に〜」が本公演では却って異質に聴こえるこの愉快さ。
ピアノソロを聴かせた「タンゴ(西村)」「海獣天国(伊左治)」は(奏者にとっては超大変だが)箸休め的な風味で愉しめた。高橋アキさんのために書かれた「タンゴ」は委嘱された当時の雰囲気を封じ込めたかのような香りに彩られ、ボイスをピアノのエフェクト的なポジションで配置した「海獣〜」は演奏効果抜群、海の中を漂っておりました。
 
さて、最後に新作の感想(公演の曲順ではないよ)。
どちらも新美さんの詩による「野天に涌く(伊左治)」「水脈を爬(は)う」は、最初に新美さん自身の朗読があり、その後に楽曲が演奏され、詩作としての『うた』と歌曲としての『うた』の対比も行われる。特に「野天〜」は言葉を分解し時間や空間を浮遊させる伊左治作品の真骨頂なため朗読との違いが明確にみてとれ、一方、架空のオペラ〈沙羯羅〉の中のアリアとして書かれた「水脈〜」は朗読の声色の変化とも違う圧倒的な支配力で聴く人の耳にゴールを打ち込む凄みに満ちていた。
 
そして何よりも、全編を通してとんでもない難曲たちをコレまたとんでもない技量と表現力で聴かせてくれたピアノ・碇山典子さんとソプラノ・太田真紀さんには驚愕という言葉以外見つからない。太田さんの演奏は毎回新たな衝撃を受けているし、今回初めて聴かせていただいた碇山さんは自分にとっては新たな発見でテンションが上がりました。

作詩だけでなく公演デザインを手掛けるメンバーの新美さんは当然、本公演のヒントをフライヤのビジュアルに忍び込ませているわけで、印を結んだ嫋やかな手先・白蛇・温泉マーク・妖艶な脚 ── これらは無論今回の各演目に因んでいる(と来場者は思う)わけだが、その発想の出発点が詩人が住んだ旧花街のサラスヴァティー(弁財天)で全て繋がっているタネをパンフレットで明かすいうのは、フライヤ〜コンテンツ〜パンフレットの流れを立体的に構成した詩人のアートディレクションの勝利。
 
終演後には出演者に作曲家を交えてのアフタートークもあり、これはテレビ収録なのかと思うほどしっかりしていて最後の最後まで愉しめた。
 
 
最後に、何故に私が荒木町に矢鱈詳しいかというと、実は私自身駆け出しの頃から独立するまでの16年間四谷界隈のデザイン事務所に勤めており、特に三栄町に事務所があった最初の八年間は荒木町は目と鼻の先、或るときは事務所の先輩や仲間と、或るときは一人でプラプラするにはもってこいの場所だったのだ。平衡感覚を失う飲み屋街の坂も格別だが、踏み外せば転げ落ちて即身成仏しそうな急階段から見下ろすレトロな風景は過去を閉じ込めた箱庭の様で好きだった。

ちなみにだが荒木町には坊主バーなんてのもある。この谷にはカミもホトケもおられるのだ。