伊左治直アンコールピース全曲演奏会


飯沢耕太郎 編「きのこ文学名作選」という本がある。きのこに纏わる文芸作品ばかりを集めているというかなり変わった本だ。ブックデザインを担当しているのはコズフィッシュ(祖父江慎+吉岡秀典)、祖父江慎さんは言わずと知れたブックデザイン界の先鋭にして巨人である。この本は普通の単行本とはまったく違うデザインアプローチがされる。通常であれば、こういった選集は編まれたテキストたちに相応しい統一フォーマットを作り、そこに美しく流し込んでデザインしていくのだが、祖父江さんは全く逆方向にアプローチをする。詩作・古文・小説・狂言・エッセイなどなど、テキストそれぞれに最も相応しい版面・フォント・組み方・イラストレーション・刷色・紙質さえ変更するという、大胆さである。ここで祖父江さんがこだわっているのはテキストから受ける表情・読まれるリズム・スピードと紙面デザインを一致させることであり、事実見事に一致している。なのでそれぞれの作品ごとに全くバラバラな表情を見せるのだが、不思議なくらい本としての統一感がある。ここが怪人・祖父江さんの真骨頂である。
 
さて、 伊左治 直さんからお誘いを受けて、「ヴォクスマーナ第36回定期 伊左治直アンコールピース全曲演奏会」を聴きに豊洲文化センターへ伺ってきた。ルネサンス以前のポリフォニー音楽と20世紀以降の現代曲の演奏をコンセプトにする声楽アンサンブルとして日本や世界でも信頼の厚い楽団である。伊左治さんはそこで長年アンコールピースを書いてきたのだけれど、それが1ダース溜まったので個展を、ということなのだそうだ。しかもなんだこのホールは! 舞台の奥にはモノホンのレインボーブリッジやビル群の光の明滅、東京ウォーターフロントのカッチョいい夜景が広がっている。惑星コルサントかここは!!
 
話がずれていくなぁ、そうだ。コンサートの雑感を書くのがこの文の本筋だった。
恥ずかしながら今まで伊左治さんの作品群は器楽と雅楽(!)しか聴いたことがなく、声楽作品は初めてだったので非常に興味津々だったのだが、伊左治直さんという才能がシャレんならないくらいモノ凄いということを改めて思い知らされる晩となった。つまり祖父江さんがデザインで試みていることを、伊左治さんは音楽でやってしまっている。選んだテキストそれぞれに最も相応しいタイム感・音価・音高・ニュアンスの指定を以って作曲している。それがヴォクスマーナの実力と相俟って、非常に心地よい。そして個々の作品の個性は全くバラバラなのに、不思議なくらいコンサートとしての統一感がある。つまるところ伊左治さんは怪人なのだ。
 
同じく作曲家の堀内貴晃さんに言わせれば、ラテン音楽のイディオムを自然にコンテンポラリに溶け込ませながら、しかも休符までしっかり音楽として聴かせる曲を作れるという意味でも、伊左治さんは稀有な方なんだそうだし、ヴォクスマーナという楽団の実力も群を抜いているそうだ。そして選び抜かれ磨かれたテキスト。確かに僕が今まで聴いてきた作曲家の個展・作品集でもこういった仕事を他に知らない・・・いや、知らなくないぞ・・・そうだショーロクラブの「武満徹ソングブック」だ。作詞家と作曲家と演奏者のこの上ない理想的なマッチングが生み出す・・・・ただただ、シンプルな「うた」。どちらも非常に稀有で奇跡的な出会い。もっと聴いていたい、何度でも聴きたい。そう思えるコンサートだった。
 
そして最後に、もう一つ。今回の楽曲にも多くの作詞を提供しておれらる新美桂子さんが自らデザイン制作されたコンサートのパンフレットは、さながら素敵な一冊の詩集である。言葉を大事にする方ならではのフォント選びや、楽曲毎による文字組みやイラストレーションのバリエーションなど、コンサートに入れば貰えるもの、というレベルを超えている。最近はデザインも上手な音楽家の方が本当に多い。ボクのお仕事がなくなってしまうじゃないか・笑