(1)
誰かが亡くなると、その方が著名であればあるほど生前の人柄や残した作品を偲ぶ投稿がどっと出てくる。その多くは愛情に溢れたものでとても素敵だと思うんだけど、中には生前の本人との懇意さでマウントしつつ自分自身の(コンテンツの)アピールに余念のない投稿があったりして、これは結構萎える。
— tsuyoshi shimono (@otoshimono) 2023年9月12日
(2)
でも同じ様な投稿の中にもそのいやらしさを感じないものもある。それは故人からの強い心の絆を感じる時だ。故人から何かを託された方の言葉は響く。
— tsuyoshi shimono (@otoshimono) 2023年9月12日
・・・とX(旧twitter)に投稿したところ、割と反響があったのだが、短文の連なりではうまく行かないニュアンスを補足しておく。
実は、個人的な心情では萎えるものの、(1)で述べたアピール投稿が全然ダメと思っているかというとそう言う訳ではない。アーティストや業者が「自分や商品を売り込むためなら故人だろうがなんだろうが利用してのし上がってやる」という気概そのものは、そのくらいのギラギラさを持つ時期がないとやっぱダメなんじゃないか、くらいには思っている。
世の中は生きている人によって作られる。かなりの爪痕を残してこの世から去った人々も沢山いるが、それは今を生きる人がその爪痕をどう使っているかということであり、去った本人にはどうしようもできない。やはり生きている今の人々の問題である。であれば故人を愚弄するものでなければ、とことん利用し尽くすことはアリかな、とは思う。
とは思うもののやはり、虎の威を借りながら最終的には我田引水していくやり口は苦手だ。
虎御大が「お墨付きですよ〜」って言ってたのならまだ全然良い。リップサービスでも虎が仰ってるのだからそこは誇っても良い。ましてや虎御大が絶大な信頼を寄せている場合は(2)のようになる。グッとくるのだ。
しかしその多くはそうでなくて「虎R.I.P. かつての虎御大と写真に収まってるオレすごいでしょ、だからオレのこれ買って(見て)」「虎R.I.P. 虎御大とは知り合いでないけどむっちゃリスペクトしてます! だからオレのこれ買って(見て)」というスタンスだから『んん〜〜?』ってなるんだと思う。 まぁ結局、それはアピールが下手糞なだけかもしれない。ギラギラと上手にやってください。