仕込み

大野和士&東京フィルハーモニー交響楽団のフライヤの下準備にプログラム曲を聴き直している。演目はリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、ショパンの「ピアノ協奏曲第二番」、ベルリオーズの「幻想交響曲」だ。ん、なんか「のだめ」のマルレ・オケっぽいな、まぁいいか。
とりあえずの参考なのでアバド&シカゴ響やらカラヤン&ベルリンフィルなどを聴くのだが、なんせ20年前以上の録音しかない。
これがただの音楽鑑賞ならいいのだが、仕事上の「イメージの仕込み」だ。注意しないとトンデモナイ間違いをしてしまう。
まず、新しい演奏会の告知であるということ。世界的な傾向として、最近のオーケストラ演奏は「繊細・軽やか・各パートが立体的に」であって、20年前の「豪快・ヘビィに・塊で鳴る金管打楽器群」ではない。これは大野さんの場合だってご多分に洩れずだ。
次に言えるのは、プログラミングにおける指揮者の意図だ。今回の曲は全て「叶わぬ恋」のエピソード、というより「狂気の大失恋」である。それらの「三つの曲」を大野さんがどう演出し「一つの演奏会」にするのか…という期待感をフライヤで表現しなければならない。曲はバラバラではないのだ。
最後に、演奏会のフライヤ制作とは、商品(演奏)の内容と品質が消費(鑑賞)される瞬間まで、デザイナーもホントのことは判らない不思議な仕事なのだ。保証は大野さんと東フィル、そして今回のソリストの小山さんのキャリアのみである。でも、その保証と演目への期待感だけを材料に、彼らがリハーサルを始めるずぅっと前に「仕事に取り掛からなければ」ならない。そう、彼らの成功を大胆かつ慎重に準備しなければならない。
だから、ボクはノホホンと聴かずに、20年前の名演の中に、未来の名演のイデアを見つめなければならないのだ。