オマエ、ドコチュー?

前回までのあらすじ
卒業17年目にして初めて、毎年東京で開催されている出身高校の同窓会に参加したボクは、ウワサには聞いていた規模の大きさを目の当たりにし、度肝を抜かれる。その後、吹奏楽部と応援団出身者によるパフォーマンスにも参加し、旧友とも再会したボクは、徐々に色んな記憶が甦り、旧友達と二次会へと向かったのだが・・・

居酒屋での二次会は同期での集まりだったので10人そこそこという小規模なものだった。知っている者も数人いたが、あとはだいたいは顔を見たことはあるなー、くらいの認識。だいたい一学年500人で11クラスもあったし、2年次からは理系クラスと文系クラスに分かれてしまうので、当然と言えば当然だ。しかし、ボク以外は毎年参加している常連のようで、和気あいあいと会は始まった。最初は不安もあったが、話しているうちに共通の友人や話題も見つかるもので、ボクもすぐ打ち解けた。
会話の中で「オマエ、ドコチュー?」というフレーズが出て来た。「お前、どこの中学校出身だっけ」を意味するこの言葉、四国は高松から遠く離れたこの東京の地で、まさか自分の会話に出てくるとは思いもかけず、なんだか妙に感動した。だって、大学の友人や職場のスタッフと話してもお互いピンとこないじゃない? その会話でまた思い出したことも多く、楽しめた。中には小学校も同じだったヤツもいたので「お前、どこ幼?」まで出て来て、これには笑った。
転勤族の家庭に育ったボクは、生まれたところと育ったところは全くリンクしていない。しかも広島で生まれてから14歳までに5回も転勤している。しかし、中学2年から高校卒業まで5年間過ごした高松は比較的友人も多い。だから「出身はどちら?」と聞かれた時は面倒くさいので「高松です」と答えることにしていた。
「ドコチュー?」なんて会話を楽しみながら、色んな事を思い出した。ボクはこの地で人生で一番の友人を見つけ、音楽と美術に本格的に目覚め、連敗を重ねながら恋もした。一人暮らしをはじめたのもこの地だ*1。今確信した。ボクの出身は紛れもなく高松だ。四国の人間である。
 
同じメンバーのまま三次会に進んだ。品川インターシティの夜景も美しい洒落たバーだ。ここでは楽しくも、ちょっと真面目な話になった。
ボクの出身校は旧制中学校であった事実からもお察しかもしれないが、全国区でもそれなりに有名な進学校で、みんなヒジョーに優秀なヤツらなのだ。国会議員・医者・弁護士・霞ヶ関組・ゼネコン等の大企業で最新プロジェクトを任されているヤツ・ドバイで石油の取引に奔走しているヤツ・・・。グラフィック・デザイナーなんて変化球な職業でもしていなければ、落ちこぼれだったボクなんて到底潜り込めそうもないところ。今まで何となく気後れして同窓会に行けなかった本当の理由はこれだ。でも、久しぶりに彼らに会ってみて感じた事がある。自分たちが責任を持って世の中を動かしていかなければ、日本は良くならないという前向きな姿勢。
今日は同窓会だ。「懐かしいね」とは言った。しかし一度も発せられなかった言葉がある。「あの頃は良かったね」
30代半ばのボクの仲間たちはあらゆる現場の最前線で世界中で戦っている。日々変化する時事問題を肌身で感じている。その目には光が宿っている。それは高校の頃から今も変わっていない。そうだ、思い出した。あの校舎はその気迫に満ちていた。
武者震いがした。ノウノウとしていてはいけない。ボクもまた、世界を変えていく一人なのだ。
来年また再会することを誓って散会した。
過去を愉しんでも振り返らない。

*1:ボク以外は転勤で今度は下関に引っ越してしまったのだ