跡形

「今度の日曜日ね、おばぁちゃんの家、壊すことになったんよ〜。おじさんがね、駐車場にすんじゃって。で、アンタおじぃちゃんの古い和綴じの本とか欲しいて言いよったけど、無理かもしれんけぇ。」
母からそう連絡があったのは先週の土曜日の事だった。祖母は長い間今、叔父と住んでいるので今回の件で立ち退いた訳ではない。というか、もう十年以上は実質空き家なのだ。
「残念やけど、事情が事情じゃけぇ・・・」
ボクはそう言って電話を切った。
広島の楽々園という海水浴場跡地に建てられた祖母の家は、購入した時でさえ、かなり老朽化が目立つ小さな所だった。小学生の頃、まとまった休みがある度にボクと弟はそこを訪れ、従兄弟たちと遊んだり、海を眺めたり、一緒に市内にある祖母の食堂へ付いていったりして過ごした。昨年の夏帰省した時には傾きながらもまだ建っていたが*1、今はもう思い出の中のみにある幻になってしまった。
ボクは何度も引っ越しを経験している。随分前にemixと行った高知で過ごしたときの家(小5〜中1)は、ボクたち家族が引っ越した直後に取り壊されたと聞いていたので、さほどのショックはなかったのだが、つい先日Google Earthで岩国に住んでいた頃(小2〜小4)の近所を眺めていたら、前回見たときには健在だった家が、取り壊されて新しくなっていたのには動揺した。通学路にあった蓮田(レンコンの田圃*2)や稲田も造成され、のんびりとした里山の風景*3も様変わりしていた。
逆に小学1年生まで過ごした足利の家は、数年に前訪れた時、何とあるにはあったが、付近一帯がゴーストタウン化していた。だから過ごした頃のまま死んだように廃墟と化した幼稚園の前に立った時の虚無感といったらなかった。割れた窓ガラスの向こうに行ってしまった幼稚園時代のボクと友達、先生。
変わるものと変わらないもの。生きている過去、死んだ今。これからの生活、思い出の場所。
そういうものを噛みしめて、ボクらは新しい毎日を積み重ねていく。

*1:id:otoshimono:20070812

*2:有名ですよね、岩国の蓮根。穴がひとつ多いって教えられたけど、ホント?

*3:id:otoshimono:20071002