きっと来る〜

(注)子供の頃の思い出です。

1年に2〜3度の防災避難訓練。まず机の下に避難、揺れで机が動かないように机の足を自分の手でしっかり固定させ、揺れがおさまったらイスに常備しているさぶとんという名の防災頭巾をかぶり、すばやく且つおちついて避難経路をとおって運動場へ避難。もちろん私語は厳禁。毎回教頭がストップウォッチを持ち、最後のクラスが運動場に避難、整列するまでのタイムを計測。学年末の訓練ではいつも最短タイムを更新。
中学時代の新設校では、通学カバンにリュックサックを採用。セカンドバックとしてのリュックではなく、教科書、ノート、運動着その他すべてが入り、常に両手があくように設計されたもの。県西部には通学帽にヘルメットを使用している小学校もあった。
寝室には背の高い家具は置かない。次の日の着替えを枕元に置いてから寝る。意識の高い家庭には避難用リュックや乾パンなどが常備。

それはすべて「いつかくるその日」のためのもの。
正確には「その日」ではなかったけれど、早朝の地震は「ついに来た」と思わせるものでした。
焼津で暮らす弟家族の家は新築なのでとくに心配はなかったものの、母が暮らす静岡の実家は築40年以上のボロ家。市から耐震強度の診断や補強の案内が来てもお金と時間がなくてなにも対策していなかったので、本当に心配になって電話するも案の定つながらず、でもメールで連絡が取れました。
弟の家はコーヒーの瓶が落っこちたくらいで怪我はなし、母も犬達と一緒にどうしようかじっとしていたらしいですが、幸い家も倒壊せず無事だったとのこと。
にしても、建物の全壊の被害もなく、ケガ人も少なかったのは、さすが30年以上も前から地震の恐怖とともに生活してきただけのことはあるとひとりで感心。静岡の人たちはこの経験をさらなる防災対策に生かしていくことでしょう。