豆粒と山羊

坂を上る者は煎った豆粒を好み
坂を下る者は弱った山羊を好む
 
鎌倉後期、坂東下野國の僧侶・剛師の言葉。志を持って粛々と真面目にその高みを目指す者は、炒り豆などの身軽に携帯出来る粗食を好むが、志なく没落の一途を辿る者は、山羊の群れの中でも弱そうな個体を貪り続ける卑しさがある、つまり志が上に向いている者は常に身軽にあらゆるリスクに備え、志が下に向く者はさらに弱い立場の者を食い物にして自分を保とうとする様を説いたものだと言われている。
ちなみに明治期の海軍中将・秋山真之は炒り豆が好物で、考え事をするときはいつもそれを食していたという。炒り豆には鎮静作用もあるようで、あながち間違った食し方ではなかったようだ。
ちなみに偶然であろうが、キリスト教にはスケープ・ゴート(贖罪の山羊)という言葉があり、現在では、ある社会集団が、不満や憎悪や責任を直接の原因ではなく、他の対象物に転嫁することを指す。