内と外の視点

今年のさいたまファンファーレクラブの演奏会では、フライヤのビジュアルが示す通り「ロメオとジュリエット」の音楽を演奏する。ひとつはプロコフィエフのバレエ音楽から。もうひとつはニノ・ロータの書いた映画音楽から。
他にこの標題にヒントを得た音楽作品としては、チャイコフスキーの幻想序曲とか、レナード・バーンスタインのミュージカルとしてのウェストサイド・ストーリーが有名なんだけど、作曲家の視点によって音楽的内容が随分と変わってくる。
ニノ・ロータやチャイコフスキーは、とにかくもう少年と少女の儚い悲恋に主観的な音楽作り。「時が経つのも忘れてひたすら見つめ合っていたい恋に落ちた二人には悲しい運命が待っていたのです」というのを、この二人の気持ちになって書いた音楽である。「こんなに愛し合ってるのに、どうしてボクたちは悲しいめに遭わなきゃならないの」という気持ちを内から表現する視点。惹かれ合った者が引き裂かれる悲劇として。
プロコフィエフやバーンスタインは社会問題としてこの悲劇を冷静に捉える。プロコフィエフは政治的な対立、バーンスタインは自らが所属するアメリカ社会になぞらえて白人系とヒスパニック系の民族対立。明確な対立構造の中に出自の違う少年少女の悲恋を持ち込む。「こういった社会構造が変わらなければ人は幸せにならない」というメッセージを音楽でも常に対比を用いる。それはテーマであったりリズムであったり。勿論この二作品はダンスを伴う舞台音楽であるという性質上、対比によって演出を明確にする意図もあるし、そういったオーダーのもとで音楽制作をしているが、作曲者の外から表現する視点がとても巧みに活かされている。
今回の演奏会で、作家によるこの視点の違いを表現することは敢えてしないのだが、密かに楽しみながら練習している。


さいたまファンファーレクラブ第16回演奏会
日時|2011年10月2日(SUN)13時開場 14時開演
場所|彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
入場|無料
曲目|プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より
   G.ガブリエリ:ピアノとフォルテのソナタ
   ドビュッシー:3つのシャンソン
   ジム・ピュー:リビング・ブリージング
   ニノ・ロータ:「ロメオとジュリエット」
   安部一城:ゆらゆら(Wiggly Piece)
   ほか