over the rainbow


先日にひき続き大気の状態が不安定だったためか夕刻になって天気雨になりました。雨が降って空にスクリーンが張られたところに陽が射せば虹が出来るコンディションになると思い待ってたところ、出るには出たのですが薄かった。写真にも収めてみましたが、見えるか見えないか、というところ。惜しいなぁ。
虹というのは理屈は簡単なプリズム現象ですが、昨日の稲妻とは真逆の幸福なイメージを喚起させます。
ところが虹は太陽光とスクリーンとなる大気中の水滴と観測者の目の位置で決まる現象なため、観測者が見た位置に虹が存在する(した)訳ではないところです。つまり実体が一瞬たりとも存在していないのです。一方、稲妻は放電現象であるため発生地点が特定出来ます。落雷というのはあっても虹の橋のたもとに行く事は永遠に出来ません。
幸福をイメージするものの実体がなく、怒りをイメージするものの実体が一瞬でも存在するというのは何だか複雑な心境ですが、幸福は人の心の有り様であり、怒りや悲しみは事実と直結しているという事なのかもしれません。だから人はいかなる怒りや悲しみがあろうと、それを抱えながらも幸せを探して生きていけるのだと思います。