外囿祥一郎&アンドレ・アンリ デュオ・リサイタル


今週2回目の東京文化会館は外囿祥一郎アンドレ・アンリのデュオ・リサイタル(ピアノは藤原亜美さん)。実は主催のフロレスタンで別件の打ち合わせをしているときに企画の相談を受けて外囿さんをご紹介させていただいたのがきっかけで生まれた夢の共演。巡り巡ってフライヤなどのデザインも担当させて頂き、人の縁の面白さを感じている。
さて、皆さんはこのお二人のソロをライヴでキチンとお聴きになったことがあるだろうか。ボクは以前から外囿さんは勿論、アンリさんの演奏も聴いているのだが、彼らの音楽に向かう姿勢を見るにつけ、いつも思う事がある。
勿論天下に轟くスーパープレーヤーで、そのテクニックや音色は耳を奪われずにはいられないのだが、そういう事ではない。彼らはそれぞれの楽器のスペシャリストである前に音楽家としての軸がしっかりしており、絶えず音楽に対して真摯である、ということである。それは録音物からでも十二分に味わう事が出来るが、やはりライヴで舞台に立った彼らの音楽を聴いてより確信出来る。外囿さんにとってのユーフォニアム、アンリさんにとってのトランペットというのは、言うなれば「たまたま手にした楽器」であり、極論を言えば逆だって全く同じ結果だったかもしれないのだ。そこに立ち現われるのは心であり音楽であり、楽器ではない(それは打ち上げで二人が口を揃えて言っていた事でもある)。
これはデザインでもイラストレーションでも全く同じだ。持った道具でその人のデザインやイラストレーションの軸が変わるものではないし、逆に表現に対しての軸を持っていなければ、どんな道具を使ったところで上手くいくわけがない。道具はアイデアとして使い分けるものであり、自分の実力を補ってくれるものではないのだ。
お二人を見ているとそう思うのである。
 
最後にアンリさんのエピソードをもうひとつ。
随分昔にアンリさんのリサイタルを聴いた折にとても珍しいハプニングが起こった。彼の演奏中にピアノの譜めくりスタッフが緊張の余り*1譜面をめくり過ぎてしまい、ピアニストがリカバリー出来ず演奏が止まってしまったのだ。
そのとき彼は「ノー・プロブレム」と笑顔でオーディエンスとスタッフとピアニストに言い、ではここからと譜面を指差して手早く準備し直し何事もなかったかのように演奏を再開したのだ。一瞬にして凍り付いた会場は和み、いや、むしろさらに音楽に集中した。というか、音楽は途切れなかった。
軸がしっかりしていれば、そんな不可抗力のハプニングでさえ己の表現の根幹には影響しない。

*1:ステージに入って来た時から演奏者よりも緊張した面持ちだったのを覚えている