擬似記憶

昨日は梅佳代さんの写真展に行って参りました。前回表参道ヒルズでの写真展の時とは違う展示方法がされており、特に巨大に引き延ばされた彼女のスナップ写真たちは今まで見た事ない力に溢れていました。
彼女の日常の中にある愛おしい程バカバカしい瞬間が、様々な大きさで再生されているのですが、自分が知らない人達や出来事の筈なのに、自分の過去の記憶が鏡映しになっている様な不思議な感覚になります。
スナップ写真の持つテクスチュアは、本当は覚えていない過去を、撮影時に刻まれた記憶の如く思わせる節があります。例え自分が写っている写真でも、撮ったのは他者であり、他者の目線です。だから「子供の頃に行った事がある」記憶でも、映像として思い出せるのは写真に撮られたアングルだけだったりして、実は後からアルバムを繰り返し見ることで刻まれていった擬似記憶だったりもします。
ボクも過去に自分だと思い込んでた写真と場所が、実は全く他人の物事だったという事がありました。他人の記憶がスナップ写真によって自分の記憶として置き換わってしまう。
梅佳代さんの一見素人っぽいスナップ写真の手法は、彼女が見たもの・体験したことを、鑑賞者の体験として刷り込んでしまうような擬似記憶装置として働く危うさを孕んでいるからこそ、芸術としての新しい価値観を生み出したのだと思います。キチンと露出や光の加減を調整して丁寧に撮られた写真とは真逆のベクトルの手法ですが、スナップの〈ある意味テキトーな〉テクスチャこそが、鑑賞者と撮影者の記憶の境界を曖昧にしてしまうという意味でとても幻想的な訳です。
本人がその事を意図的に捉えているのか、本人よりも気付いた周りが面白がっているのかは全く分かりませんが、いずれにせよ、見る物を惹き込んで止まない彼女の写真にそういう力があることだけは確かです。

うめめ

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