道標

夕刻に所用で永田町の駅を降りたのですが、地下鉄の階段を登り切ると騒然としていました。丁度、特定秘密保護法の参議院通過反対デモ&金曜日定例の反原発デモが重なって、国会や議員会舘周辺の混雑は大変なものでした。
デモという行動は選挙権や住民投票権と並んで国民や市民の政治に対するアピールとして重要なものだと思っています。しかしそのやり方は、一歩間違えば暴動となり逆に旗色の悪い方向に追い込まれますし、どんなに人数が多くとも不平不満を無節操に振りまくだけの出鱈目なコールでは、処世術や権謀術数に長けた賢い国会議員たちの耳に引っかかる筈もありません。デモこそ、クレバーかつ諧謔的に進めて、カシコイ人達に《侮れない》と思わせねば精神的な効果がありません。
第二次世界大戦中・戦後のトラウマを克服出来ていない日本人にとって、とても辛いデジャヴに映る昨今ではありますが、今大事なことは、この後に相次いで生まれてくる「空気」に呑込まれない様、各自が冷静に生活することです。争乱やパニックというのは、おこしている加害者自身が被害者だと思い込んでいる事が一番タチが悪いし、事を肥大化させます。一度巻き込まれると誰もが望んでいない方に向かって自身の意志で全速力で走ってしまいます。
今大切なのは「声を上げている人」に注目より「静観している人」を探すことです。そういう人達は、こういう時代、得てして無関心だの非国民だの言われますが、そうではない。彼らの眼差しの先に何があるのかを探さねばならない。それがあなたにとってどちら側の人であっても、あなたの行動にとって有益な道標になる筈です。