自分の「飽き」に負けないこと

自分にとって食傷気味の話題や素材があったとして、それでもその話題や素材を依頼されて取り組むとき、ついつい新しいアプローチをしてしまおうとしがちである。その多くは自分のモチベーションを保つためなのであるが、実際はそんなアプローチは依頼主は望んでない場合もある。
依頼主さえ食傷気味の話題や素材な場合は勿論《今までにないアプローチ》を求められる可能性が大なのであるが、こちらにとって食傷気味でも相手にとっては飽きておらず、むしろ新しく新鮮な話題や素材であるケースだって大いに有り得る。そういう場合、こちらにはストレートでノーマルな取り組みが求められていることが殆どである。ただし、自分が考えているストレートでノーマルな取り組みと、相手が考えているそれとの誤差や温度差は常に考えておく必要がある。
例えば。
自分が割とキャリアのある何のヘンテツもないラーメン屋だとして、客に味噌ラーメンを注文されたとする。この仕事を始めて四半世紀、味噌ラーメンは散々作って来た。正直作るのに飽き飽きしている。だからと言ってココナッツミルクやヴィーガン・ミートを使ったアジアン・ヘルシーという斬新なコンセプトを加えた味噌ラーメンを突然出しても相手は困惑するばかりか、怒って帰ってしまう可能性が高い。
もし客が普通の味噌ラーメンは食べ飽きたから「オヤジ、たまには未だかつてない味噌ラーメンを出せ」と言っているのであれば間違いなくアジアン・ヘルシー味噌を出してみるのも一つの手ではあるが、殆どの場合はメタファーとしての味噌ラーメンを注文してくるはずだ。注文した人はただただ普通の味噌ラーメンが好きかもしれないし、今までは醤油派だったのだけど、最近は味噌もいいな、と嗜好が変わったのかもしれない。ただし、合わせ味噌の配合やベースにするスープを豚骨メインにするか魚骨メインにするかなど、匙加減ひとつで「あそこはマズイ」「あそこは激ウマだけどすぐ飽きる」「あそこは普通だけど癖になる」だの評価が別れてくる。
何も新しいことを始める事を批判している訳ではない。「アジアン・ヘルシー味噌、始めました!」ってPOPを貼っておくのは個人のスキルアップや新しいステージに向かう上でとても大事なアピールだけど、ちゃんと飽きずに普通の味噌ラーメンを作り続けるのもかなり大事な技術とコミュニケーションだし、その普通の中でも勉強すべき匙加減がある、という話である。