黒金寛行バストロンボーンリサイタル


2016年4月24日、JTホール アフィニス。バストロンボーンというソロとは程遠いと認識されるリサイタルのチケットが公演の1ヶ月近く前には完売になってしまうということからも、若手ながらレジェントと呼ばれる彼に対する期待値の高さを示していましたが、それに応えるだけでなく、さらに圧倒的な音楽で聴衆を魅了した一夜でした。
どの曲も心に残りました。
シューマン「詩人の恋」の艶やかさと儚さ(そして小松祥子さんのピアニズム)、竹山愛さんとのデュオだったブス「ディヴァージョンズ」の軽妙なやりとり。
それから中川英二郎「トライセンス」のドラマティックなピアノとのアンサンブルは圧巻でした。
ティボール「序奏、テーマとヴァリエーション」は録音して多くの人にソロ曲としてもっと広めたい(というかじっくり聴きたい)し、ギリングハム「ソナタ」とブードリー「テューバッカナール」は演奏するのが楽しくて仕方ないという喜びが炸裂していました。アンコールの2曲のキャラクターの差も気が利いていました。
私には「良いソロリサイタルというのは、実のところ室内楽として成立している」という持論があり、昨晩などはまさにその好例だと思えました。
トロンボーンがべらぼうに上手い人は山の様にいます。
でも「ピアノとトロンボーン」「トロンボーンとフルート」「はてはトロンボーン独奏にいたるまで」一貫して1本のソロリサイタルを「室内楽」公演として聴かせられる人はそうそういるものではありません。つまり、「黒金寛行」は確かに当夜のソリストなのですが、同時に黒金バンドのリーダーでもであり、聴衆は彼のアンサンブルの魔法に立ち会えたということです。
それを象徴した1曲があります。無伴奏で演奏されたテレマン「12のファンタジー」です。
黒金さんは私とのデザイン周りの打ち合わせの折から「オケで演奏するのが楽しい」「合奏態の中で演奏することに幸せを感じている」と話していました。オケを軸足にして「ソリストとしての自分とオケ中の自分をそれぞれフィードバックしていきたい」とも。つまり、ソロであっても音楽の基本が合奏にあるということです。
テレマンのファンタジーから聴こえてきたのは、トロンボーン1本のラインではなく、合奏でした。彼は《独奏を合奏している》のです。もちろんこれはテレマンの周到な音楽設計があってこそなのですが、それをアウトプットするためには楽譜上の一音一音の役割を考え、役割同士をアンサンンブルさせていく「合奏」というスタンス(とそれを支える技術)がなければ成し得ないことです。私がこういう体験をしたのはヴァイオリニストのヴィヴィアン・ハーグナーが無伴奏でバッハ「シャコンヌ」のソロとトゥッティを一人で弾き分けたのを聴いたとき以来かもしれません(あの曲は無伴奏ながら確実に合奏協奏曲として書かれていますよね)。
音楽というのは演者(同士)の技術的なリミッターが外れることによって音が織りなす綾が紡がれていく様子を純粋に愉しめるようになります。そして、それを導いていくリーダーの存在が、演奏の個性やスパイスを与えます。リサイタルにおけるソリスト「黒金寛行」はそういったスタンスで、共演者はもちろん、自分自身とも合奏をしているのです(もちろん黒金さんに匹敵しうる共演者や、それを発揮出来る楽曲のセレクトあってのことですが、これだってリーダーのセレクトとコーディネートにかかっています) 。
黒金さんの音楽性や演奏技術は私が初めて出会ったとき(4BoneLinesのレコーディング打ち合わせのときでした)から本当に素晴らしいです。
しかし、学生時代から並み居る第一線のプロフェッショナルにまで「化け物現る」と恐れられたレジェンドは、日本屈指のオーケストラとドイツ留学を糧にさらなる磨きがかかり、ニコニコと控えめに笑いながらも、黙々と研鑽を積み、さらなる高みを目指していたのでした。
さて、今回のリサイタルにあたって、カメラマンの岡崎正人さんには膨大な量のカメラセッションを行っていただきました。デザイン上で使用出来たのはその中で厳選した数枚なのですが、使わないのが惜しいものも山盛りあります。本当に写真集作っちゃおうかなってくらい。本日このレビュー冒頭で使わせていただいた写真、彼の見つめる先の光と、音楽に向かう意志が象徴的に重なる1枚だと思っています。



黒金寛行バストロンボーンリサイタル

日時|2016年4月24日[日]17時開演
会場|JTホール アフィニス
出演|黒金寛行[バストロンボーン]
   小松祥子[ピアノ]
   竹山愛[フルート]
料金|一般3500円 学生2500円(当日500増)
取扱|イープラス
   管楽器専門店ダク
   株式会社ドルチェ楽器 管楽器アベニュー東京 金管サロン
   株式会社アクタスブラスプロ