完璧な自然

通勤ジョギングをする道沿いに、昔はどぶ川だった小川の周辺を再生して作られたビオトープがあって、今日みたいな晴れた休日は子供達がザリガニ釣りなど水遊びをしています。学校の実習などにも使われていそうなところで、周辺の(多分この土地自体の元々のオーナーさんなのかもしれません)農家も、となりのトトロに出てくるような昔ながらの感じだったり、ヤギが草を食んでいたり、鴨なんかも長閑に泳いでいたりして美しい光景なのですが、子供たちはこれが人間(親)側の都合で(子供用に)完全に制御された風景なんだということは実感できないと思います。
河岸は水際に生える植生が再現され、川の深さも低学年の子供が入るのに丁度良く、都合の良い場所に手作りのデッキがあります。一見鬱蒼とした(実はよく手入れされた)小道、丁度良い場所に木陰、植物の種類も多く、学校の授業に出てくるものばかり。向こうには植樹やクラフトの体験学習をするための広場もあり、駅に近い住宅街の一角にあるので、親も見つけ易い。不自然なくらいに完璧で安全な自然なのです。
良いとは思うのです。無いよりかは。そんな限定されたビオトープの中だって、子供は最初から上手く虫取りや水遊びが出来るわけではないし、友達と外でコミュニケーションや喧嘩をしながら社会のしくみだって学べる。手触り感みたいな部分は仮想と現実が一体化しつつある現代においては必要な体験です。
だけど、その大前提として「自然は人間が抗えないほど怖い」ということが学べないような気がします。
危険だからといって、自然からそういう部分をシャットアウトした状態のものを見せてしまうと「どういう状態のとき、何故危ないのか」ということが直感的に判らなくなってしまう。無条件に「自然は素晴らしい」なんて考えをする人を増やすばかりです。一見穏やかでも急に深くなっている川や、天気が急変すると方向が判らなくなってしまう野山、毒性のある植物や危険な動物。親御さんには申し訳ないけど(でもその親御さんだって判っていると思うけど)、そういうことって「行っちゃダメ」的なギリギリな場所で経験することも大事で、生命力を強くする体験です。生身の一個体では制御不能な自然とどう向き合い対応していくか、これは人間という非力な種族の出発点です。
自然に触れ合える環境の再生の次は、そういう「自然の危険を学び・つきあっていく」ことを子供に教えていく(学ばせていく)ことが、親や学校をはじめ、日本の社会の役割になると思います。*1
痕が目立たなくなるくらいの大怪我して大きくなった方がいいよね、なんてユーフォの外囿さん(二児のパパ)とも、そんな話を昔したなぁ。ボクには子供はおりませんが、とても頷けます。

*1:世界にはそれどころじゃないくらい危険な場所がまだまだ沢山ありますものね。いや、日本の中にもまだまだあります