煙霧に思う。

煙霧*1で首都圏がゴッサム・シティと化した一日だったが、今日程ではないにしても、少なくともボクが四国からこっちに出て来た1990年代、荒川沿いの工場地帯の煙突はまだまだモクモクと煙を上げていたし、群馬の榛名山辺りから東京方面を眺めると街は真黄色の汚い大気に包まれていた。近所の川は洗剤の泡やゴミが浮かび、ヘドロ臭いのが当たり前だった。それは何も首都圏だけでなく、さらにボクが子供の頃の瀬戸内海といったら赤潮やゴミだらけで海水浴なんて気分にさえなれないウンザリした海岸が多かった。
90年代の埼玉は海がないし高低差の少ない平野に延々と畑が続くためか、冬は乾燥した冬に突風が吹くと埃っぽいことこの上なく、夏は空気が淀んで光化学スモッグが溜まると目がチカチカするので、四国から出てきたボクはすっかり気が滅入って「こんなに住みにくい街は絶対イヤだ」と思ったものだが、当時は瀬戸内の海沿いだってクサかったしゴミだらけだったから何処に住んだって同じだったろう。昔は大気汚染が原因の喘息持ちの人多かったし。
それから四半世紀近く経って、どう考えても街は、海は、空は、キレイになった。あれほど住みにくいと思っていた埼玉や東京の空気はクリアになったし、日本中にあったヘドロ臭い河川や海は減った。
確かに喘息の人は昔より周りでは減ってきた。でも、その代わりに花粉症やアレルギー体質の人が増えた。そういう意味では「潔癖な環境」と「自然な環境」というのは全く別次元な話なのかもしれない。

*1:煙霧は必ずしも汚染された環境で起こる大気現象ではなく、急激に本日の様に急激に暖かい南風から冷たい北風に変わると気圧の差で雲が発生したり突風で海面の飛沫や自然由来の粉塵も舞い上がります。ただ都会ではやはり人工的に作られた汚染物質と、国が失敗した森林政策の申し子であるスギ花粉などが入り乱れて舞い上がります。