最も贅沢な

上質な複製物が制作可能になり、それがデジタル技術で瞬く間に世界中に配信できる現在の世の中で、最も贅沢な価値観の一つに「複製できない体験をする」ことがあるように思えます。その最たるものが演劇や舞踏や演奏会などの『ライヴ（生公演）を鑑賞しに会場に足を運ぶ』ことだと思いますが、今回、東京オペラシティさんのご招待を受けて聴きにお伺いさせていただいた《内田光子＆ヴィヴィアン・ハーグナー　デュオコンサート》はさらにその上を行くものでした。
どういった経緯でそうなったのかは存じ上げないのですが、会場には一見した所、記録用のマイク一本も吊り下がっておりませんでした。世界の宝とも言えるこのお二人の競演を公には記録される素振りがないのです。つまり本当にこの一期一会が会場に聴きに来たオーディエンスのため「だけ」に提供されたのです。第一級の音楽が複製・配信される可能性を一切拒否する事・・・チャリティー公演という枠組みにしろ、これは真に贅沢な空間です。
さて、演奏会は内田さんの真骨頂であるモーツァルトから始まったのですが、冒頭からその「一流」という言葉さえ霞み飛んでしまう圧倒的なアンサンブル力に惹き込まれました。ヴィヴィアンの可憐なヴァイオリンを母のように包み込む内田さんのピアノが寄り添い、そのピアノの上でヴァオリンが自在に遊ぶ様。息を呑んでウットリするしかない。
次にヴァイオリンの無伴奏曲が２つ続きます。最初のバルトークは芳醇かつ先鋭なソロ曲として、後半のバッハは決して身体が大きいわけではない美しい彼女がまるで弦楽オーケストラを内包しているかのような表現をし、会場を圧倒。この２曲の時空を超えた鏡として表現したのは見事。
最後のブラームスは二人の創り出す豊かな響きの中に満員の聴衆全てが漂い、夢見心地になりました。もう、音楽だけで全てが満たされていた。

内田光子＆ヴィヴィアン・ハーグナー　デュオコンサート
〜日本オーケストラ連盟青少年育成基金チャリティコンサート〜
2010年11月20日［土］15:00
東京オペラシティ　コンサートホール
［出演］ピアノ：内田光子
　　　　ヴァイオリン：ヴィヴィアン・ハーグナー
［曲目］
モーツァルト：ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ホ短調 K304
バルトーク：無伴奏ヴァイオリンソナタ Sz117から「シャコンヌのテンポで」
J.S.バッハ：無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004から「シャコンヌ」
ブラームス：ヴァイオリンソナタ第1番 ト長調 op.78《雨の歌》

最後に、このお二人につきましてはお名前は存じ上げているものの、正直今まで一度も演奏を耳にする機会には恵まれておりませんでした。しかし、今回の演奏を聴けたことは本当に幸運であり、このデザインのお仕事をいただいた東京オペラシティ文化財団様には大変感謝しております。

Ciaccona

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ集

ところで吹奏楽的な余談。今回のアンコールは「ベートーヴェン：ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調 op.24《春》より 第3楽章 スケルツォ」だったのですが、この主題、アルフレッド・リード作曲の吹奏楽の佳曲「春の猟犬」のテーマそのものです。今まで拝読してきたこの楽曲に関する解説に一度も書かれていなかったのですが、明らかにリードはアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンの詩と共に、この《春》の第3楽章をリスペクトして作曲したのでしょう。音楽の輪廻というか、奥の深さに敬服いたします。よろしければ両曲おとも聴いてみてください。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、第9番「クロイツェル」

Alfred Reed's World of Wind Music