森林の江戸学

花粉症の季節ですね。花粉が付着しにくいコートやマスク、ヒドい時はゴーグルを着用しないと外にも出られない方もいらっしゃいます。「こういう季節だし」と諦めて治療に専念されている方も多いと思います。
昨年以降、原発事故をきっかけに放射能汚染に敏感になられている方も多いと思います。関東圏にお住まいの方でも子供には放射性物質が付着しにくいコートやマスク、ヒドい時はゴーグルを着用しないと外に出さない方もいらっしゃると伺ったことがありますし、先日も沖縄で海上自衛隊が雪遊びイベント用に青森から持ち込んだ雪を「放射性物質が含まれ、被曝する可能性がある」とのクレームで催し自体が中止になるというニュースも報じられています。
花粉症と放射能汚染を一緒にするなという方もおられるでしょう。勿論全くの別物です。しかし、両方とも過去の失敗と復興のケーススタディを無視した(第二次世界大)戦後の急激な産業主導政治によるリスクマネジメントの失策の代償だとすると、どうでしょう。

徳川の歴史再発見 森林の江戸学

徳川の歴史再発見 森林の江戸学

というところで、今回装丁させていただいた本のご紹介。
徳川林政史研究所というところがあります。ホームページによると「尾張徳川家第19代当主徳川義親が設立した公益財団法人徳川黎明会に所属する、我が国唯一の民間林業史研究機関です。」とのことです。
何故、尾張徳川家の研究所が森林事業に通じているかというと、創設した徳川義親が東京帝国大学にて史学科と植物学科を修めているということもありますが、その背景に徳川幕府が森林事業(林政)をたいへん重用視しており、産学一体となった研究と実践を徳川幕府が弛みなく行ってきたからでです。では何故徳川幕府がそんなにも林政を重要に扱ってきたかというと、過去に日本は森林事業で一度大失敗をしているからなのです。
16〜17世紀にかけての戦国大名やその覇者(特に豊臣秀吉や徳川初期)たちによる築城・街造りブームは大量の木材を必要としました。まだこの頃の日本には植林という概念は殆どなく、良質の木材を求めてとにかく乱伐が続いた挙げ句に日本中の山林は荒廃し、保水力を失った山野が原因の土砂災害が目立つようになります。加えて慢性的な材木不足。環境保全や災害対策、安定した資源供給の面から見ても森林の復旧が幕府の急務になります。「林政」と名付けられたこの分野は以来長い検証と実践を核としながら多くのノウハウを蓄積し、継承され、明治期を経てドイツ林学も取り入れ、昭和初期の日本における森林政策は高いレベルでの完成を見るのです。日本は100年かけて荒廃させた森林を慎重に200年かけて復興させました。
しかし、戦後の政策で逆戻りです。木材需要のための乱伐→早く育ち木材としても適しているスギ・ヒノキの乱植→その後の海外産木材輸入自由化に伴う国産木材の低迷→資金難による山林管理の不徹底→山林の荒廃と大量のスギ・ヒノキ花粉の飛散→都市・住宅部の様々なアレルゲンとの相乗→大量の花粉症患者の発生。
ね、あながちエネルギー政策の失敗や事故処理のズサンと似てなくもないでしょう?
江戸時代から学ぶに、森林の荒廃を復興させるには今から数えてもあと250年かかります。エネルギー政策はもっとかもしれません。とはいえ、本気で次世代のために美しい日本を残すなら、根気のいる政治をせねばなりません。
この本にはそういう先人の努力とノウハウのヒントが書かれていると思います。