隠された大震災

夕刻、昨年の震災の記憶を呼び起こすようなM7.3の地震や津波が三陸沖で起こりましたが、歴史を紐解くと1944年の昭和東南海地震がまさにこの日だったそうです。
当時日本は太平洋戦争末期で非常に不利な戦局の中にあり、この地震で東海地域の戦闘機を製造する工場が壊滅的な被害を被るだけでなく、1000名を超える死者が出ました。しかもこの日は真珠湾攻撃3周年ということで戦意高揚以外の情報は殆ど国内では報道されず、動員され被災した学徒にさえ喋ればスパイ行為とみなすと政府関係者は隠蔽を強要したと内閣府の中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月《1944 東南海地震・1945 三河地震》」にはあります。
これだけ政府が隠そうとしても世界中の地震計や米軍の偵察機などでは被害状況が確認されていたというのですから悲しい茶番劇です。
隠し事が良くないのは、隠すという行為によって隠し事をする当人の人格が歪むからです。殆どの隠し事は自分の目を押さえるようなモノ、頭隠して尻隠さずです。見えなくなるのは自分だけで周りの皆には筒抜けであると思った方が良い。
再びこの様な国に戻る事だけは許されません。