言葉のリスク

《いじめ》《ハラスメント》という行為の根の深さは、いじめている当人(たち)にいじめているという意識や責任感が希薄だったり全くない事に起因する。つまり、私やあなたや多くの人が何の気なしに誰かに発している言葉や(あるいはスルーするといった行為)自体が、溜まりに溜まるとその人を追い詰めてしまっていることもある、ということだ。
だから《いじめ》や《ハラスメント》なんていくら調べても発した側からすれば「なかった」ことになり、受け取った側からすれば『確実にある』のだ。
「いじめられていると感じたなら『気にしなければいい』『逃げればいい』」というのは意識や責任感のない立場からの言い分であって何の解決にもならないが、いじめられた立場からの「《いじめ》や《ハラスメント》は確実にあるのだから、それを行なった者全てに制裁を与えるべき」というのも何の解決にもならない。それでは子供がよく言っている『何にもしてないのにブってきた』と同じことで、喧嘩をこじらせるだけだから。その瞬間、被害者と加害者が入れ替わってしまうリスクも発生する。

大切なのは自分のどんな普段の言葉でも、誰かを傷つけてしまうリスクについて常に責任と覚悟を持つことである。言葉というのはそれくらい重いのである。