学ぶということ

学びの時期にある子供たちは、なるだけ沢山失敗したり叱咤された方が良い。そして、エラーに対して死にたくなるくらい真剣に落ち込んだり悩んだりした方が良い。そしてそして、また奮起して挑戦しなければならない。経験値のない成功は失敗をスルーしているのでリスクが感知出来ないし、何故上手く行ったのかも実感出来ない。
大人は学びの時期にある子供に出来るだけ沢山の挑戦する機会を与えねばならない。そして、叱咤して何故失敗したのか考える機会を与えねばならない。そしてそして、激励して挑戦する次の機会を与えねばならない。
学びの時期にある子供たちは、トライ&エラーを繰り返しても社会的な責任を負われることがないのが特権なのだから、いま出来るだけそれを重ねなければ、その後の人生が大変苦労する。
成功なんてイチローの打率くらいあれば御の字だ。だけどイチローだって大まじめに10割打つつもりで打席に立つのだ。そして投手も1点も与えないつもりでマウンドに立ってるし、捕手たちもそのつもりで打球を待ち構えているからだ。当たり前だけど言っておくが、イチローは飯を食うために野球をしているのだ。打者の反対側にいる選手も一緒だ。飯を食うために何かをするということは責任は全部自分にあるということだ。もう誰も守ってくれないのだ。それがプロフェッショナルだ。
だから悩める学びの時期にある子供たちよ、失敗している今を逃してはならない。落ち込み寝込み考え励ましあい、自分なりに這い上がってきなさい。
やがて大人となり、プロとして活躍するためにノウノウとしていてはならない。