夢や幸せの形

AppleMusicの「見つける」のトップに見知った顔が別々のバンドで一度に出てきた。どちらも彼らが悩み踠いている若い時期に一緒に話をしたり仕事をしていただけに、こんな日が来ようとは感無量である。あの日、不安で伏せていた瞳が、ある日、覚悟の眼差しに変わった瞬間があるのだ。その後、様々な歯車が噛み合い覚悟と決断が功を奏したのであろう、スターダムに駆け上って行った。彼らの近頃のアーティスト写真やSNS投稿から溢れる自信は、そういった苦渋の日々の上にある。そういう人が僕の周りには結構いる。
一方で、夢半ばで諦めてステージを降りてしまった人も沢山いる。皆、それぞれ悩み苦しみ踠いているのに、何かが一つ噛み合わないだけで次に踏み出す道が変わってしまう。「あのステージに、その人がいてもオカシクはなかったのに」・・・そういう人は山のようにいたのだ。それを運命だとか突破力だとか言うのは容易い。しかし誰が悪いだの何が駄目だったなどと云うことは殆どない。遠目にみれば誰も実力の差なんてなかったのだ。そして夢半ばでその道を諦めること自体が駄目なわけではない。その人にとっての幸せは誰も推し量れない。それに夢は一つではない。
また一方で、夢が本当は何なのかも見定められないまま、中途半端に小手先の手技にしがみついて歩き続ける僕のような者もいる。いや、誰もがそう思いながら日々を過ごしているのかもしれない。自分にとっての夢や幸せの形なんて、他人はおろか自分でもよく分からない、そんなものなのかもしれない。