嘘んこ城《応用編》

で、ボクはシロニストですので、真面目にこの城のスペックを分析しました。

熱海城は海抜120米余、熱海の景勝地錦ヶ浦を脚下に控えた天与の要塞の地にあり、築城には最適の地とされております。戦国時代の昔、関東・東海地方に威をふるった小田原北条氏歴代の名将たちも水軍の根拠地として築城を望みながら果たし得なかったと伝えられております。天守閣の建築様式は、日本の築城建築が頂点に達した桃山・慶長初期の様式にのっとり、外観五層、内部9階の高層建築で、昭和34年に建てられました。同時期に再建された大坂城・名古屋城と並び称される名城であります。

と、観光案内には書かれていますが、実際は

スペック
錦ケ浦山頂に梯郭式縄張(多分)を持つ山城。五層(実は9階建)の付櫓を持つ慶長初期(桃山時代)の後期望楼型天守を構える。一層目に比翼千鳥破風/二層目に大入母屋破風/三層目に千鳥破風/五層目に望楼(回縁式のバルコニー)を設ける。石落等の防御設備は無し。石垣中段に特異な犬走がある。海方面に向かって二の丸郭と思わしき広場がある。

 
突端に位置するため眺めは良いですが、城郭としてはもう少し山側に位置すべきです。これでは三浦城(水軍の拠点)の様に追い込まれたら(北条早雲が攻めた)逃げ道がありません。兵は置くでしょうが、本格的な城郭にはしないでしょう。
小田原北条(後北条)氏は関東武士であり、桃山式の天守は築城はしませんでした。という訳で、この形式で築城されるとすれば豊臣の小田原平定後になりますが、この形式は先に小田原石垣山城にて豊臣が築城しており、近所に2つも不要でしょう。江戸期に築城されれば「謀反の疑い有り」として御家取潰しでしょう。いずれにしても現実的ではないのです。
では、現実的に熱海城を築城するとなるとどうすべきか・・・、あぁここから先は本当に「お〜い!戻ってこーい」ですのでまたいつか。って誰も期待してないので書かないと思います。