ハルサイ

ボクは高校一年生の頃、自分の部屋で悶々と毎日毎日ストラヴィンスキーの「ハルサイ(春の祭典)」ばかりを聴いていた。
買ってもらったばかりのCDラジカセで、来る日も来る日も、勉強しながら、漫画読みながら、蒲団の中で眠りこけながら、もうそらで歌えるくらいに。
流行りのアーティストの歌なんかチットも覚えず、ひたすらひたすらハルサイ。
頭の中で蠢き弾け、渦巻き叩きつける音の塊。不気味で土俗的で官能的で暴力的なのに、繊細で壊れそうで艶やかなバランスの音の幻想に身を置いた。
今思えば、超進学校入れてしまったものの、ボクより遥かにデキる友人たちとの出会い、ストレスとコンプレックスに悩まされる毎日だった。ハルサイ鑑賞はそこから逃れる仮想の楽園だったんだろう。
そういうわけでハルサイは高校生のボクにとって、全く違う世界からやって来た、現実にはあり得ない幻想の戯れ。ライヴで聴くなんて想像もしたことない音楽だった。
それを今日聴いてきた。東京フィルハーモニー交響楽団第39回東京オペラシティ定期公演、指揮はダン・エッティンガー。
今一緒にお仕事させていただいてる小寺香奈さんがバス・トランペットで、ioriくんの奥様でもある打楽器奏者の船迫優子さんも出演している。知人が演奏しているのだから一層リアルだ。
その音響たるや、想像以上だった。立体的な重低音、弦楽器とほぼ同数の管打楽器群から成る舞台いっぱいの楽器の森のあちこちから、音楽が沸き上がってくる。職人芸的なソロの応酬。ダン・エッティンガーのビートの効いたハルサイはライヴならではのブレやキズはあったものの、天晴れな快演。まさに「喝采鳴りやまず」だった。
高校生の頃はストラヴィンスキーの描く音楽のスゴさに圧倒されたが、今日は「リアルにそれを演奏する音楽家たち」のスゴさに圧倒された。
演奏後の彼らの充実とした笑顔が、いつもより印象的だった*1
高校生のボクは大人のボクに言った。
「幻想がリアルになった時ってガッカリすること多いけど、これは悪くないな。」
「だろ?」
やっとあのころのコンプレックスから解放された気がした。
 

*1:小寺さん・船迫さんオツカレサマ!