学生気分

夜、学生が訪ねてくる。埼玉大学吹奏楽部の今年のサマーコンサートのデザインの件。大学に入学した年からここのフライヤ制作に携わっているので、何とこれで20年めである。今年はとうとうボクが入学した年に生まれた子たちが入学してくる。
じゃあ、その20年で学生が変わったかというと、あまり変わってない。同じ年齢の人間がサイクルしてるだけだから当たり前である。制度が変わって単位を取るのが大変になったらしいが、基本的にはお気楽に大学生活を謳歌しているように見える。
じゃあ、その20年で自分が変わったかというと、これもビミョーだ。大学も何とか卒業し、仕事を始め、結婚もして随分経つが、学生の頃からイラストを描く仕事をしてたり、大学の後輩と結婚したし、学生の頃に立ち上げたアンサンブル団体で今も活動しているので、かなりグラデーション的に現在に至っている。
ある意味、まだ学生気分なところがある。
じゃあ、その20年で何が変わったか、というと世の中の環境は随分変わったと思う。ボクも就職氷河期とか言われた時代に今流行の「内定取り消し」もいち早く経験した*1クチだが、不思議と閉塞感はなかった。「実力をつければ何とか伸し上がれるし」という感覚が持てた。個人の力に希望が見いだせた。世の中がデジタルで覆い尽くされる前夜で、自分たちで作り上げていく領域にもまだ余地があった。
けど今は「寄る大樹が欲しいんだけど、なくなっちゃった。自分で頑張っても世情の先は見えないし不安」っていう無力感がひしひしと伝わってくる。ある意味賢い。時代の空気読んでる。
ひとつに、物でも事でも「やり尽くされた感」があるからだと思う。インターネットでちょいと調べれば、自分で思いついたというアイデアや、自分で作り上げた作品よりも上質なものが既に発表されてしまっている。
新しい価値を作り出すことなんて自分では到底無理。それは一部の「ネ申」とかカリスマな企業の「中の人」が用意してくれるもので、自分は巧く利用して二次著作物でも作れればオンノジ。だから話としては「それをどう巧く組み合わせて利用するやつがエラいか」みたいな風潮。でもその先に希望があるかって言われても、ねぇ、みたいな。
そういう意味でボクのは、今の学生気分とは随分違うかも。
なんか元気出してほしいな、学生。

*1:卒業間際の3月に就職が決まっていた製版会社が潰れた。笑うしかない。