揺蕩う

すんごく久しぶりにフィットネスに来た。9時のオープンからほどなくしてチェックインしたのに、ドレッサーの前でもう髪を乾かしているジィさんたちがいた。風呂に入るだけにしても短か過ぎないかしら。
プールでは1kmは泳ぐことにしているのだが、ボクは泳ぐのがメッポウ遅い。しかし、途中で入ってきてボクの前を泳いでいたおバアさんは暇をつぶしているマンボウかウミガメの如く遅くて、なんとボクがケノビをして進むより遅いのだ。時折泳ぐのを止めてブレーキをかけなければぶつかってしまう。
とはいえ室内のコースプールだからおバアさんを抜いて泳ぐ訳にはいかないので、後ろについてユラユラとしてなければならない。最初は「困ったなぁ」と思っていたのだが、何だか、その急がない揺蕩う(たゆたう)感覚が心地よくなってきた。そしておバアさんの時間の進み方に達観したおおらかさがあることに気付いた。彼女は何にもしていない(クロールなのか平泳ぎなのかも判然としない)のだが実にしなやかで、感覚的に自由で解放されているのだ。
ボクは泳ぐのは遅いのだが、やっぱり「急いでいる」のだ。フィットネスのスイミングくらい自分のペースでいいじゃんと言いながら、どこかしらで絶えず時間を気にしている。というか時間を詰めて多くをこなす事で頭がいっぱいなのだ。この時も自分のペースで考えれば何時何分頃に上がれるなぁとか考えはじめていたのだ。
やろうと思えばこのあおバアさんのように、どこでだって揺蕩うことが出来るはずなんだ。しかもそれは、ボクが詰めてより多くの成果を得ようとしている〈だけ〉の時間の長さと左程変わりないのだ。それでいて同じ長さでも深さが全く違うだ。
結局おバアさんは100mも泳がなかったのだが、後ろについてユラユラと揺蕩うた時間は、永遠のようだった。