般若心経


広島の家の玄関には、祖父が自ら揮毫し、彫り、着彩した般若心経の彫刻が掲げてあります。祖父は広島に原爆が投下され終戦を迎えた後に広島県警察部西警察署署長に着任し、被爆した街の復興、GHQとの折衝、暴力団抗争(「仁義なき戦い」で有名な広島抗争の頃です)対策などの激務に追われました。柔道・剣道とも師範クラスの腕を持ち、「バカタレ」が口癖で、博物館に飾った方が良いくらいの古風で厳格な日本男児でした。
父の話によると当時は治安が相当悪く、暴力団からは絶えず命を狙われていたようで、家の門には警邏が四六時中詰めており、祖父の出勤時には迎えの車が門にピッタリ横付けされ、その警邏に守られながら乗車したそうです。また叔母からは、百貨店へ祖父と出掛けた際に「絶対後ろ見ちゃいけんで」と言われて、怖い思いをしながら買物を続けた(多分SPが追手を何とかしたのではないかと思う)という思い出話を聞いたこともあります。
祖父は幼いボクに小難しい外国のゲームや大和絵の図案集を買い与える人で、書斎には巨大な筆や彫りかけの彫刻、大判の書籍、京劇のお面などが並び、当時は何をしている人なのかサッパリ判らなかったのですが、激務が一段落した後に警察を辞め、食品関係の商社の役員をしながら自適に暮らしていた様です。
そんな祖父が一番嬉しそうだったのが瑞宝単光章を受けた時でしたが、やっと昔の仕事が報われ肩の荷が降りた、と思ったことでしょう。何しろ広島の戦後史を体現していたような人ですから、実に夥しい人の争いや死というものも累々と見てきた訳で、この般若心経にもそんな祖父の想いが込められているのではないかと今になって思います。