紙に刻まれた〈広島〉

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本日、8月6日です。緊急事態宣言中より黙々とブックデザインを続けてきた《紙に刻まれた〈広島〉─原民喜『小説集 夏の花』を読む(大高知児 著/三省堂 刊)》の刊行日となりました。著者と編集者が「どうしてもこの日に」と選んだ「75年は草木も生えぬ*」とされた75年後の夏です。
原民喜の被爆実体験を元にした『小説集 夏の花』を歴史的資料と綿密に照らし合わせながら当時の広島をリアルに浮かび上がらせる意欲作です。今twitterではNHK広島局による「ひろしまタイムライン」(もし75年前にSNSがあったらという企画)が話題ですが、ここに出てくる呟きの数々を裏付ける内容や資料が満載です。
原爆投下翌日に祖母に背負われて家族の捜索に爆心地まで出てしまった母(当時一歳)は、ここで祖母と共に二次被爆をすることになり、私はその息子なので第二次被爆者二世ということになります。被爆者二世の中ではかなり若年とはいえ、もう来年には50の齢が見えています。
そういった中で、この大切な仕事に携わることが出来たのは、私の身の上を覚えて頂いていた三省堂編集部の高橋正積さんのおかげです。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。
*これはマンハッタン計画に携わったハロルド・ジェイコブソン博士の談話報道(8月8日付ワシントン・ポスト)がソースなのだけど、あまりにも不確かな発言で当時から一悶着あり、実際そんな事はなかったのは今の広島を見れば明らか。

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文字の下に広がる広島市の風景ですが、これは著者の所有物である『最新大廣島市街地圖(廣文館/昭和十三年三月十六日陸軍運輸部檢閲済)』をエノラ・ゲイの視点を想像して空撮風に撮影して雲のエフェクトをかけたものです。表1タイトルの「紙に」と「刻まれた」の間の下の方に投下目標地点だった相生橋、「刻まれた」の下の方に、私の祖母の実家の玩具問屋(もちろん跡形もなく吹き飛んだ)のあった西引御堂町が見えます。

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表紙は『最新大廣島市街地圖(廣文館/昭和十三年三月十六日陸軍運輸部檢閲済)』を真上から撮影。爆心地が表1の中心に来る様に配置しました。

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見返しは『夏の花』冒頭で主人公の「私」が15日には初盆を迎える妻の墓に供えるために買った花の色にしました。

 

 

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